このあいだやった奈良女での講義でのレポートをAさんが送ってくれました。今朝、比良山麓にくるまでの時間と来てからしばらくのあいだ、読んでみました。ちょっと複雑な気持です。
講義の時のはっきりしない印象、100人近くの学部学生さんがほとんどのっぺらぼうに見えたものです。しかし、このレポートを読むと、ピンからキリまであって、ちょっと大げさですが、なんだこれはというくらいに個性が繚乱しています。講義時の無個性とこのレポートの幅広い個性、はどうもいまの日本の若者気質を典型的に示しているのかもしれません。
いろいろな大学で集中講義をすると分かるのですが、たいてい一番前の席があいてます。ひどい場合には前の5列くらいが空いてその後ろから学生が座ります。そのような座り方がどれくらい講演者に非礼であるかなどはかれらの頭のどこにも無いようです。
奈良女もその例外ではなくて、前の二列くらいは誰も座りません、講義中もいっさい質問がありませんでした。これも講演者に非礼であることが分かってないようです。
しかし、最近はどこでもこんなものですから、わたくしは焦りませんでした。
しかし、このレポートを読むと、学生さん達は、たいへんダイナミックな感想を持たれたようです。面白かった、すごく意欲が湧いてきたというものが多かったです。いちおう額面通りに受けとめます。
率直にして内容の豊かなものがいくつかありました。出色といってもいいとおもいます。この学生はあののっぺらぼうのなかの誰だったのかぜひ知りたいものです。しかし知りようはありません。講演者から見ると、一種のミステリーです。
なかに秀逸のがあって、わたくしの指導者魂を刺激するのがありました。この学生を指導すれば、これまでのベストの女子学生と同格かそれを凌駕するのではないかとまで思わせました。
不思議なことです。講義の間はまったく静かで、だれひとり頭を出さないのに、レポートでのこの率直さと個性の乱舞(ちょっと大げさですが)さはまったく想像できまん。
もしもレポートを提出しないで、またわたくしがたまたま読む(集中講義でのレポートはアシスタンスとが読むことも多いのです)ことがなければわたくしの奈良女子大の学生についての印象はかなりネガティブでしたでしょう。
わたくしは女子大については一般的にポジティブなコメントを常にしています。つまり女子大で思い切り元気よく過ごして欲しいと思うのです。男社会のどうしょうもない不条理をいっさいしらないで原理的に正しいとおもうことを学生時代に追求して欲しいと思うのです。
米国の女子大を出て、男社会のハーバード大学に入って研究社会を生きてきたある女性の自伝を読んだことがありますが、この人の場合も女子大での経験が人生をつらぬくポジティブな原理であることに強い印象を持ったことがあります。