お金の話題

今朝は関空経由で沖縄行きです。今月は用事があるので2回行くことにしています。行くまでに沖縄のほうの論文をすませたかったのですが、一部残ってしまいました。新たにに調べることが出てきましたので、しかたないのです。論文というのは、その一編しか読まない人のためにもそれなりに完結している必要があるので、いかに今後の発展が期待されているとはいえ、この段階でなんらかの完結した結論が必要です。そうでなければ論文にする意味がありません。

今朝の新聞では、琉球大学工学部の教授が遅刻した学生に100円を払えば遅刻にしないとかの取り決めをしていたのを大学側が問題視して(たぶん学生の苦情から発覚したのでしょう)、それに対して教授がなにが悪いかと、対立しているとかです。ちょっと面白い。
これ、うっかりどちらかの肩を持ちたくありません。たぶん当事者の言い分を聞いたら、新聞記事とは異なった印象を持つでしょうから。ただ言えることは、この教授変わっています。しかし、学生も一般的にひどく変わってきているので、教授側にも変わった対応する人が出てきて不思議ないでしょう。一回の遅刻代が100円とかですから、払えば遅刻でなくなるとか、子供だましのようですが、それでしばらくは教授もうっぷんをはらしていたのでしょうね。この問題、大学当局側が教授を批判して大上段に振りかぶると、滑稽になっていくので、どこかで賢者の知恵でなんとかならないものかとおもいます。この科目が必須というのが気になります。遅刻点がどのくらい単位取得に関わるのか。教授は学生を戒めるのはいいのですが、恫喝はいけませんから。それに、遅刻をやめさせるために100円を払わせてるのか、それとも遅刻を100円で帳消しにする方に力点があるのかそのあたりがよくわかりません。徴収したお金はどうしているのか、そのあたりも気になるところです。最初は笑えるエピソードかと思ったのですが、どうもそういうものではないようです。ちょっと苦い味がします。

次の新聞記事も一見笑えそうです。しかし、深刻な部分もあります。国立天文台の50代前半の教授がまたまた学生アルバイトのピンハネで100円ではなくて、200万円近くも流用とか。本人は悪いことをした意識はあまりないようなコメントが出ていました。飲食代や、タクシー代や研究室のメンバーの結婚式の祝電などなどに使っていたとか。数千万円の総額の研究費の一部が大学院生のアシスタント経費として、計上されていて、それが銀行振り込みされていて、当該学生からそのお金を直接もらっていたのですから、これも学生と教授の金銭関係の一つでしょうか。
そのピンハネ経費の一つが、研究の成功を祈るための神社への祈願料につかわれたのだそうです。この段階ではまだわたくしも笑えなかったのですが、その次ぎにでてきた、天文学の古老のような先生が「祈願する気持がわかる」というものでした。これには笑えました。もちろんわたくしもその気持はわかりますが、でも国民の税金を使って、祈願するのは、いくら親方日の丸でもいい加減にしたらどうかと思うのです。八千円とかの祈願料も自腹をきってこそ、ご利益もあるのでは。わたくしも、前に書いたことがありましたが、沢山利用した虫の供養をしましたが、その供養代は自分のポケットから出しました、当たり前のことですが。

さて、笑い話ばかりではすみません。研究には色んな経費が必要です。わたくしにとって頭が痛いのは訪問に来た国内外の研究者の接待です。大学院生達にもぜひ親しく話してもらいたい研究者などが来たときには、大勢の飲食の面倒を見なければならないことがあります。海外でわたくしが訪問したときには、反対に向こうの研究者や大学院生などが一緒に晩飯に行きますが、そのあたりの経費は上限を定めて研究費から払うことが認められています。日本ではこのあたりが一番厳しく戒められているのがつらいところです。その落差があって、かなり困ることが多くの日本人研究者にあるはずです。わたくしも、なんども長い研究者生活でどうしようと思ったことが、ありました。一番簡単なのは、いさぎよく全部自腹を切ることです。わたくしがみるところ、最近はほとんどそういうケースが多いと思います。そういうことのために、別途お金を貯めておく必要が研究室経営者には必要なようです。しかし、若い教授の研究室を訪問して晩飯などをご馳走になると、教育費が大変なのに、奥さんに恨まれるのではないかなどと考えたりすることもあります。割り勘が出来るといいのですが、招待した側が面倒を見るのは世界の研究者の共通ルールです。わたくしなども世界のどこかで、歓待を受けると、次はそのお返しを決して忘れてはいけないとよく思うものです。
本当は、国の研究費でなく、民間からの寄付金がこのような研究者の交流に必要経費に使えるといいのですが。よく、飲み食いはけしからん等と、偉いかたが言いますが、研究者同志の飲み食いは案外一番大切な行為の一つなのです。だいたいシンポジウムは酒を飲み交わすとかいう意味でしょう。節度は必要ですが、研究者の活発な交流に役立つ飲食経費に道学者のように目くじらを立てていたら、学問は死んでしまいます。それも全部自腹を切れ、といわれたらお金のない学生やポスドクには機会がありません。教授や研究主宰者が若い連中の飲み食い代を全部ポケットマネーで払えと言われたら、かなりきついですね。見聞も広め、議論もよっぴてする、こういう研究者の行為は研究、学問の一番大切な生命線なのです。自腹を切ってやるのもいいでしょうが、自腹を切れない人達も沢山いるはずです。お金のことですが、このあたり欧米標準で出来るといいのですが。日本的な意味でのよいやり方、日本人の感性に合っているやりかた、があるといいのですが。

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