熱中症、そして大岡昇平

朝から暑いので、雑草の刈り払いですが、熱中症にならないように、一時間やったら20分休んで、水分補給に気をつけました。冷蔵庫に残っていた、フルーツビネガとかいう甘い酢を氷水で薄めて飲むと非常に体にいい感じでした。
ゴルフ選手も熱中症にかかるというのですね。むかしは日射病とかいったものでしたか。ともあれ、年をとると、疲れもすぐでないで時間差があるように、暑気あたりもすぐでないので、早め早めに休みというように、用心に越したことはありません。雑草はすごい量なので、慌てません。刈り払い機は2台あって、一台は円盤の刃が付いてるもので、もう一台はナイロンです。取り替えてると面倒なので、2台使います。草と石とかの境目はナイロンで、他は円盤で切ります。気温は33度以上はあるし、湿気も高いので、汗がどんどんでて、シャツが水びたし状態でした。

さすがに疲れて、一休みして、テレビを見たら、大岡昇平氏がでていました。途中から見たのですが、番組の最後にこの人に会いたいとか、でていました。まさにあいたい人に会ってしまったのでした。

何気なく見ているというか、大岡氏がしゃべっているのを聞いてるうちに、どんどん引き込まれてしましました。死去する4年前にとったと言うので、いまから20年くらい前、大岡氏が75才くらいの頃のインタビューだったのでしょう。すっかり引き込まれて、自分がそれまで草刈りしていたのをすっかり忘れるくらい引き込まれてしまいました。そう、もうすぐ、戦争のことをいろいろ考える時期にきたのだな、でも沖縄のことを知って以来、本当に8月6日から15日までの10日間でいいのか、沖縄戦のことを抜きにしていいのか、などと彼の話を聞きながら思いました。大岡氏は、たとえ飽食の時代になっても(1985年でももう飽食の時代だったのでした)、また一年中、中流意識で楽しくやっていても、日本人はこの8月6日から15日までの10日間はあの戦争のことを思い出さねばならない、と言ってるのでした。

それと同時に、走馬燈のように、わたくしは大岡昇平氏の作品にも影響を受けたけれども、かれの翻訳したフランスの小説や評論にも甚大な影響を受けたことを思い出しました。桑原武夫と大岡昇平こそがわたくしの理想とする日本における知識人だったのでした。その後転向して英国系のものの考え方になったので、研究者としては成功したのかもしれないけれども、人間としてはフランス系知識人で一生を終わりたかったな、などと無駄な考えにひたったこともありました。でも、まあ本当のところは伝統的日本人をめざしているのだから、いいじゃないかとか、そんなことを番組をみながら、切れ切れに思いました。

結局大岡昇平氏の姿を見てしまったので、すっかり気分が内向きになってしまい、その後の、草刈りもなんだか義務的になりました。

妻は知り合いの人達と一緒に昼飯を食べにいったのでわたくしは、K君の論文の見直しを始めました。ちょうど2か月前にデータがたりないので、ストップしてたのでした。新しいデータもでてかなり煮詰まってきてはいますが、まだまだデータは必要です。でもいまからファイナライズを目指せば、書く方とデータの出きるのが、同時ゴールインするかもしれません。
昼過ぎに、わたくしも知っている妻の友人のYさんが遊びに来てわたくしもおしゃべりに混ぜてもらいました。韓国談義で盛り上がりました。なぜ韓国が好きになるのか、なるほどみなさん似たような理由があるのですね。

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