無能なボスでも

暑い、うっかりすると熱中症になるという暑さです。百万遍の交差点は。
年をとると、暑さに弱くなるのを感じます。年寄りの冷や水も本当なのでしょうが、たぶん年寄りの暑気あたり、も真理のはずです。
このあいだの5日間の頑張りの疲労が今頃出てきた感じでくたびれた感じです。かなりテンポを落として働いてます。

さてきょうの話題は、ボスが無能でもかなり研究成果があがるかどうかという、ことです。
こういう設問は具体的に意味があるかですが、実態としてかなりあると思います。
旧帝大とそれに準ずる大学の伝統系の研究室では、ボスが有能だろうが無能だろうが関係なく、研究費があればかなり成果があがると信じている若手研究者が多いはずです。
というか、たぶん日本中どこに行ってもこう考えている人達は多いはずです。つまり、ベンチがアホやから野球がでけへん、とは思ってなくて、金さえあればそこそこいけると思っているのではないでしょうか。拝金思想的ですが、金が研究の原動力と考える人達が増えているはずです。
裏返していうと、研究費が乏しいので、研究費を渇望している層が非常に厚いとも言えます。そういう環境では、ボスが有能とか無能とか関係ないのでしょうね。研究費が少なければ、ボスは無能といわれるかもしれません。

高額の研究費がどうして?というような重点的な分野の人達にわたっているのは事実です。わたくしも事例を挙げよと言われれば、片手の指くらいの数は1分以内で言えます。しかし、たしかにそういうところでもそこそこの成果があがるのは確かです。ですから、金さえ沢山あれば、そこそこの成果が当該重点分野で上がると言うのは具体例があるからです。あまり認めたくないが、事実です。

しかし、その研究室を訪問して、ボスも含めてメンバーとしゃべれば誰が真の牽引者であるかははっきりわかります。でも、それはあまり公に大声では言えないのですね。中間的なポスドクや助手、助教授、室長クラスが頑張っている場合が多い。さらには大学院生クラスにすごいのがいたりすることがあります。学部の卒業研究生や修士院生なんかが一番頑張っている国立大学なんかは日本に沢山あるのです。ボスは名ばかりで、論文すらも書けない人達だったりします。

それでは、ボスが有能という評判でも,実態は置屋の元締めみたいに管理でがんじがらめにして、ポスドクを奴隷のように使おうとする悪辣なのがいるともよく聞きます。高額な研究費がある重点分野の研究グループなどからおりおりに聞こえてくる話しです。まったくの消耗品のように若手研究者を扱う中堅ボスが増えているとも聞きます。

こんなことをくだくだ今日書いてるのはなんの目的かというと、重点的分配とか優れたリーダーを選んで特別に研究を育成するとか、そのような研究費補助の考えを決して否定するのではありませんが、実は研究費ばらまき(薄く広く広範に研究費を分配すること)でなんとか生存していた国内の多数の(庶民的)若手研究者が生存困難になりつつあるのかもしれないという、心配です。
世の中、矛盾が常にあります。すぱっと割り切れないのは当たり前でしょう。でも日本社会の特質は昔から庶民レベルでの活力と能力でした。指導者などいなくても相当な成果を挙げることの出来る組織が日本ではわりとできやすいのです。欧米と著しく違う点です。指導者でなく、組織が存在すること自体が重要になることが多いのです。例えば感染症の研究、いっとき死んだように下火になってもいまは最も重要な分野の一つです。その下火になったときに、組織を存続することが本当は一番大切だったのです。急に再開など出来るはずがありません。

庶民的存在がほんんとうは天才だった、というのが日本の歴史のかなりの部分を占めていると思うのですね。ですから、ボスなんかどうだっていい、多彩な研究分野が存続して、その中で、自分が思う存分研究できればいいという、下克上的庶民的若手研究者を育成するというか、かれらの多様な存在を維持することが一番大切ということを今日は言ってみました。

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