学位取得者の社会的な特典

土曜日に外出すると次の日の日曜が土曜のように感じてしまうことがあり、それで月曜になって、あれ、ということがよくあります。
きょうは、土曜のような感じなので午前中いっぱい家で仕事をしてしまいました。昨日よる、今朝、昼と三食家で自前で食べました。外には出ないで静かな時間を楽しみます。
それから昼過ぎ、比良山麓のほうに来て、水やりをまずしました。木や野菜が暑さと乾燥でぐったりしている感じです。夕方まではたっぷり水やりをしないと、いけません。
水やりのために、歩いていたら、敷地のなかのクヌギの木の二本に棒がわたされていて、そこにブランコがありました。
いつのまにか、Iさんが作ってくれたのです。孫がふたり今日の夕方から来ますので、そのためでした。立派なものです。二人がどういう反応をするか、ちょっと楽しみです。

ところで、このあいだの東京での会議で、学位取得者を中学高校の教諭や役所が公務員として一定の割合で採用してくれるとありがたいという意見をいいましたら、賛意を示すかたが何人もおりました。始めてポジティブなレスポンスを示す人達に会えました。
このことは、いちどブログ書いたのですがわたくしは日本にとってとても重要なことだと思うので、また触れたいと思います。
学位後のキャリアーについてですが、今の日本は博士学位を取ってもなんの特典もあるどころか、むしろ就職には不利という情報が流れており、前途有為な若者の中には最初から敬遠するものが多いのです。いいかたが悪いのですが、それでお宅っぽかったり、社会的に適合性の低いけれども偏差値のたかい若者が大学院に来る傾向(あくまでも傾向ですから、誤解のなきよう)があります。
前回のブログでは弁護士や医師のように学位取得者にもなんらかの資格というか社会的特典を付与すべきだと主張しました。

それで、役所や学校の採用者の一定の割合が学位取得者であることを義務づけて欲しいのです。国家の経綸とか予算を論ずる官僚に博士や修士の学位取得者が相当数いるということは妥当なことだと思うのです。また高校の教員で学位取得者の最低限の割合をきめるのはいいことだと思うのです。そうでなければ、なんのためにこれだけの国費を投入して学位取得者を養成するのでしょうか。使った国費が泣いているのがいまの実感です。
このような意見、その時の会議の参加者の多くは前向きの反応でした。それでわたくしは非常に嬉しく思いました。
他の会合などでおりおりに言ってるのですが、これまではポジティブな反応はほとんどありませんでした。
元気が出ました。
学位は博士だけでなく、修士も含めてもいいかもしれません。
こういう流れをもしも行政がとってくれたら、大学院にくる若者のタイプはがらっと変わるでしょう。
ニワトリと卵どちらが先かですが、世の中の若者はそういう特典には非常に敏感です。そういうルールこそが新しい卵になるのではないでしょうか。
また一番問題になりつつある、博士取得者の生涯キャリアーについても、あらたな明るい展望が生まれるに違いない。
医学部への異常な程の人気も変わるかもしれません。また文系でも学位取得を希望する若者が増えるにちがいありません。
前のブログでも書いたかもしれませんが、わたくし高校の時の一部の先生のアカデミックな雰囲気にあこがれた感じがありました。

企業が引き受けている博士学位取得者は信じられないくらい数が少ないことは前のブログで書きました。

やはり大学院に入ってくる若者のタイプが変わってこないと、日本の研究の構造的な変化は起こらないと思います。
普通の常識豊かな元気のよい若者が沢山くる世界であってほしいと、わたくしは単純におもっています。悲壮な決意で学問やるというのは、研究の世界のごく一部ではまだまだあっても大半の世界は人よりも5年も研鑽を積んだメリットを与えなければ、おかしいと思うのです。

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