終戦の日、小泉首相靖国参拝、徹子の部屋、東京大停電

社会の背景にあるものはなにかと考えると、死者が現代を動かしていると考えたくなることが多いのです。今日もそんなことを考えたくなりました。

小泉首相はわたくしと同い年ですから、戦争を実際に体験したわけではありません。しかし、戦争を体験した世代が言いたくても言えなかったこと、またやりたくてもやれなかったことを代わりにやる、という意気込みを感じることがあります。
終戦の日に靖国を参拝したのは中曽根元首相いらい20年ぶりとか。このことは中韓政府とも織り込んでいたでしょうから、激しい非難はあってもそれ以上にはならないでしょう。次の首相確実といわれる安倍晋三氏は、参拝しても参拝したとは公に言わないというふうにきめたというのです。これが首相になってからの参拝スタイルだとすると、どのような受け止め方をされるかは、わたくしにはわかりません。中韓の反応次第で日本のマスコミも変わるのでどうなりますか。いずれにせよ、公に存在しない参拝なのだから、外国の人(日本人も)には無視して欲しいと言うことなのでしょうが。政治的にどう受け止められるかですが、もういい加減この件はやめて欲しいというのが、正直な気持ちです。

安倍氏にしろ小泉首相にせよ、ご本人の確信のなかには一つか二つ世代前の人間の思ったいろいろな感情を背景にした行動があるに違いありません。靖国参拝という行為そのものに、大戦で死んだ多くの戦闘者たちが招き寄せている面があるでしょう。ある意味、小泉さんは戦後の首相のなかで靖国参拝を最終的に貫徹したことでもっとも勇敢にして、幸せな首相だったのかもしれません。批判者は蛮勇というでしょうが。数十年経たないとこのことの真の評価はできないでしょう。結局、日本と中国、韓国が中長期的にどのような関係をつくっていくかです。楽観はまったく出来ません。

家族と一緒に昼飯を食べに外に出たときに、駐車場でふとつけたテレビで徹子の部屋ですか、原爆被災者手帳を持つ、野球解説者の張本氏の言葉が聞こえてきました。わずかな時間だけ聞いただけですが、感動しました。小学生で勤労奉仕中に被爆したお姉さんが亡くなられたときの様子を話され、広島の原爆記念館をどうしても見ねばならないと思って、三度も出かけてどうしても入館出来なかったこと、入口で金縛りに遭ったようになって、入れなかったことなど、ひと言ひと言が重い内容を含んでいました。張本氏がこのような背景のもとに育ち生きてきたことを知り、彼にはぜひそのようなことも含めて、自伝を書いてほしいと強く思いました。イチロー選手とは違った意味で、不世出の記録を残した人ですし。

東京大停電ですが、わたくしの感想はこれじゃクレーン船数隻あれば東京にたいしての深刻なテロなど簡単にできるじゃないか、ということでした。たぶん沢山の人達がそう思ったことでしょう。イスラム教徒の原理主義者で日本にテロを企てる人達はまずいないと思いますが、日本首相がこれだけ中国人などを怒らせてる時代ですから、国家的なものでなく、アルカイダのようなグループによるテロは常にありうる話しだと思います。この東京大停電が終戦の日一日前に起きたことがなにかを象徴してるような気がしてなりません。

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