坂口安吾、帰宅、日本人の創造性雑感

最近坂口安吾が再評価され、若い人達が読んでいるようで嬉しいことです。
わたくしも若い頃(といっても30代)かなり読み込んだものでした。天才という冠がぴったりする、人です。評論のキレが凄いです。
世界的には日本人以外では100人くらいしか(?)読んでないのでしょう。こういう天才を独り占めにして申し訳ないと思うくらいです。
真実かどうかしりませんが、三歳の時に母と対立して家出したという逸話がとても好きです。

今朝は朝早くおきて新幹線により湖西線経由で比良山麓に戻りました。10時半には着いたし、道中で月曜午後のこんどは別の夏の学校の講演準備が完了してしまいました。
すこし休んで雑草取り。この夏はずいぶん雑草取りをしました。雨が沢山降ったとのことで、水やりは必要ありません。

ここのところ森のなかの例の木をみるとクワガタ、カブトムシが必ずいます。野性的で元気がありそうです。この間のおおきなのは交尾してました。よほど好かれている木のようです。

創造性についてですが、やはり勇気がいちばん大切なのではないですか。
それに他人とは異なったことを持続してやることではないでしょうか。
この二つを金科玉条にすれば、創造性はまちがいなく発揮されると思います。
特に日本文化は他人と違うことをやるのがなかなか難しい面があるので、逆にそれを突破できれば一挙に少数者になれるのだから、創造性を生みだす環境としては悪くありません。
ただ、ひとりでも二人でも理解者がいて、励ましてくれるといいのですね。

日本の歴史をみると、鎖国時代にいちばん創造性が豊かだったように見えるのです。歴史のアイロニーです。
この時期無自覚無意識にやっていたことが、当時においても西欧からの訪問者の目を奪い、またその後も現在にいたるまで西欧を中心に高い評価を得ているのですね。
作者の名前を忘れましたが、日本と西欧はすべてが逆さもという江戸期の外国人の本はこじつけが多いですが、また一方で真実も多くあるでしょう。松下村塾の建物を見て、ここから明治維新が始まったということなら、逆説的にわたくしなどは松下村塾の無名性の時代に戻りたいとまで思ってしまいます。彼等が元勲になったことが日本の悲劇の始まりなのでしょうか。
竜安寺の石庭の創造豊かな作者がだれかもよくわからないというのも日本文化の特質だし、魅力なのでしょうか。わからないままで、いくのがいちばんいいでしょう。無名性的な文化がいちばん凄い、というのが日本文化の特質だとわたくしは思っています。こういう文化がいまの日本社会のどこかで力強く持続しかつ生みだされているといいのですが。

ただし、余談ではありますが、中国知識人はただの一度も日本文化を高く評価した時代はないようです。日中友好はせねばなりませんが、1500年以上の長い歴史で中国側からの日本への高い評価は一度もないことはよく知っておかねばならないと思うのですね。つまり日中が相互的に幸せな良い時代は残念ながら一度も経験していない(実は辛亥革命の頃に良い時代があったとは言われてるようですが)のですね。

日本人の創造性が鎖国時代になぜ頂点まで高くなったのか、わりあいあっさりと解明できそうな気がするのですが。これといって納得のいく説明を聞いたことはありません。

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