昨日の夜、百万遍のOにいきました。真ん中に坪庭があって、そのそばに7人分の席をとりましたが、雨音が激しく聞こえて、それなりに風情がありました。
ここは、あいかわらず安いのに感心しました。ただ、わたくし以外、若い男性ばかりなのに、食べ物が余るとは、なんということでしょう。わたくしのような、人間には信じられません。おまかせ2千円でしたが。おまかせ千円もあるというので、次回は千円を試してみましょう。それでも食べ物があまったら、わたくしは世の末が見えるような気がするでしょう。客のTさんはMDですが招待した食べ物屋の値段の安さで憤然とするような人でないので、気をつかわないですむのがありがたいことです。
そこでの話題ですが、最近の犯罪がひどいというか、エスカレートの度合いが激しいことにみんなの関心があることがわかりました。
親が小さなこどもを虐待し死に至らしめる。小さな子供、とくに2−4才くらいまでは天使のような存在で、人間がいちばん可愛らしい時期です。この時期の子供を虐待するというのは、それが親であるとすると、暗澹としてしまいます。しかも虐待どころか、殺してしまうのです。
中学生が、実の親を殺す。自分がするのがいやなので、友人に頼み、友人が実の母親を刺殺しようとしているのをそばで目撃しているとうことです。
信じられない行為です。
かつて20年くらい前から、「切れる」という言葉がうまれて、突然切れて、見も知らぬ人に暴力を向ける。たしか、バタフライナイフとかいうのが新聞記事に出てきて、「切れた」少年が見ず知らずの人を殺してしまう。切れるというのは、わたくしはそれから、何年か経ってリアルな感じでわかるようになりました。
それが今や、切れたという言葉で説明できない、執拗な怒りが親に向かうのですね。熟知したいちばん近い存在の母親に10代半ばの少年の執拗な怒りが計画殺人をするまでに、世の中は変わってきたようです。
ストーカーというものも、人ごととおもっているといけないようで、警察が認知しているストーカー行為が3万件とか。これは一年での数なのでしょうか。そうならば、年間の自殺者と同じ数になります。高等専門学校の女子学生が殺害されたのもどうもストーカー行為と関係があるようです。
だれが、なにがこのような変化を引き起こしているのでしょうか。
もちろんわたくしに、わかるすべはないのですが。
わたくしは、ゲーム、DVDやインターネットを介在して繰り返し見ることのできる、画像に関係があるような気がしてなりません。
通常のテレビなどでも驚くほど残虐な殺人シーンがNHKですら、よく放映されています。日本人はあまりにもこのような画像に無防備なのではないかととおもいます。
つまり画像の持つ強烈なイメージがどの程度深甚に人の行動に影響を及ぼすか、気がつかないのではないでしょうか。
わたくしの経験でも、子供の頃に見た地獄絵図などは、わたくしが仏教的なものをおりおりに嫌うその原点になるような記憶です。
それから、これもこういうブログには書きにくいのですが、10代半ばか後半でしたか、なにかのおりに春画的な写真集を誰かが持っている状況に遭遇したときに、先輩というかおとなが、見るな見るなこんなもの見るとインポになるぞ言っていたのが強く印象に残ります。今では子供だましのようなものでしたでしょうが、それでも画像の持つ強烈な影響は誰でも知っていたはずです。バーチャルな体験と気軽にいいますが、気軽でない深刻な影響を人間に引き起こすことを、ゲームやメディアに関わる人達はどこまで真剣に考えているのでしょうか。
文科省が研究費を出して、このあたりを持続的に調査研究してもらいたいと思います。それとも、研究結果ははっきり出ているのに、規制というか規制の方式がまとまらないのでしょうか。画像に対しては厳しすぎるくらい規制したほうがいいのではないでしょうか。アングラ的なものはあっていいし、あるべきですが、アングラ的なものが白昼堂々まかり通ってるような、世の中のような気がします。