やはり北海道は広いと感じました。緑濃い森がいつまでも地平線にひろがっています。いちばん違うのは、河のようです。護岸工事をしていない河のつくる曲線はなんて美しいのだろうとおもいました。小樽に近いスキーリゾートのキロロというところで医学系の会合があり、これに招待されたので来ました。週末までいます。久しぶりの北海道です。北海道では、現在天皇皇后両陛下がご滞在中とか。
研究室のM君が医学部の学士入学(正確にはどういうのか)に合格したとの通知ありました。たいへんめでたいことです。わたくしは極めて難関だと思っていたのですが、ある先生に言わせると、そんなことはない、ここらあたりの連中なら受からない方がおかしい、とかでそのことばにたいへん驚いていたのでした。ともあれM君もこれで博士をとることを確定してからここを出たいでしょう。
昨日書いたKさんの自死のこと、きのうの夜のあいだに何人もの方からメールがありました。今、時間が無いし、考えてる時間もないのですが、Kさんが正義感にもとづいて行動したことは間違いないでしょう。誰もがそういってきてます。正義感が強すぎたと。しかし、そのような人がなぜ死ぬような状況に追い込まれてしまったのでしょうか。いったいどういうことなのでしょうか。大学の中でどのようなことがあったらそのような正義感に基づく行動が、服毒自殺という結末に至るのでしょうか。
わたくしは、時間がかかってもこのことの原因は明らかにしなければいけないと思うのです。そうでなければ、彼の死はまったくの無駄になってしまいます。
メールを書いてきた人達はみな彼と同じくらいの年齢層で10年20年のつきあいのあるひとたちがほとんどです。かれらの怒りと悲しみはとても深いのです。最近会った人達は彼がとても朗らかであったと言います。
それなのに、このようなことが起きてしまったのです。
以下は、ある人からのメールの一部です。Kさんが研究者としても、どんなに前向きで、協力的であったかがこの文からもわかると思います。
Kさんの 試験管内反応の系は予想以上にいろいろと面白い実験が出来ると、 Kさんとの議論は盛り上がりました。また、タンパク質間の相互作用を見るのにわれわれが使っている実験条件にも非常に優れたアドバイスをしてくれました。おかげで苦労していた実験が動き始め、お礼のメールを彼に送らないといけないなと研究室内で話をしていたのでした。
この件は全く口にしませんでしたが、彼は口の堅いタイプですし、生真面目で正義感の強い男でしたから彼が行動を起こしたという話もうなづけます。ただ、どうして彼が死を選ぶところまで追い込まれてしまったのか。悔しくて、悔しくてなりません。彼の奥さんとは面識はありませんでしたがまだ子供さんも小さいはずで、自分と重ね合わせると、自死して家族を残すという選択がいかに辛いものであったか。今後大学の調査がどのように進むのかは知りようもありませんが、死んだ彼になんらかの責任が押し付けられるようなことにだけはならないようにと願うばかりです。ブログを拝見して、いてもたってもいられず、メールした次第です。