昨夜帰ると、まだまだいろいろと畑から収穫があるとの妻のはなしを聞きました。
ブルーベリーもたくさん採れました。ゴーヤも。トウガラシ系はとれすぎてこまるくらいとのこと。いまだにトマトがとれるとは。
たしかに今年はいつもより手間はあまりかけなかったのに、うまくいきました。たぶん、日照りの厳しい時期に比良のほうに滞在して毎日水やりをしたのが原因だろうと思いました。
インドからもどったR君も元気そうでした。博士学位おめでとう、と声をかけました。なんとなく、だんだん彼が日本人ぽくなってきたような気がします。いいのか、どうか。
医学部を受かったM君も、満面笑みです。取りあえず、来年4月からの学業のしんどさはまだ忘れてていいでしょう。
4つ一列に並んでいた、論文がひとつ抜け出たので、次のが最終段階に入れるようになりました。筆頭著者ときょうはそのあたりの打ち合わせをしました。準備も実に良くできているし、研究内容も隅々まで理解してるし、成長したなあ、と感心しました。やはり苦労はお金をはらってでもしなさいとかいう、だれかの格言は正しいですね。
わたくしは周りからあまり苦労してないと思われがちですが、実際には学問的にはかなりはげしく苦労してきたと自分ではおもっています、そしてその苦労が自分の実力の大半を作り上げたと思ってます。そう思えば、苦労も将来の楽しみです。ただ、苦労には正しい苦労と正しくない苦労があって、正しくない苦労にはまると、ろくでもない経験しか残らないことになります。大学には正しくない苦労にはまる迷路が錯綜して走っているので、正しい苦労だけをしていくのは不可能ですが、でもなるべく多くの時間を正しい苦労で過ごすべきなのです。
正しい苦労とは、難しい事をやり遂げるには当然誰もが通る難しい通路を歩いていくことです。ありふれたことですが、子供をそだてるとか、語学が上手になるとか、そういうものの苦労と研究の苦労は案外似ています。何かを高く深く達成する上での苦労ですから。
きょうもおりおりにKさんの死を考える事がありました。
彼の控えめな笑顔が思いだされます。彼は、わたくしのことをちょっと恐がっていたのかもしれません。後でいろいろ聞くと、お酒の席などではほんとに元気がよかったようです。私はその姿を知ることがありませんでした。
彼の死は本当に知れば知るほど不可解です。