個人の努力結果の否定、公務員叩き

このあいだ、東京に行ったときに聞いた話しなのですが、任天堂の会長さんが京大病院で治療を受けた経験から病棟が貧しいので、ポンと巨額の寄付をしたというのが、たしかニュースにありましたね、ところがそれを聞いた文科省の担当が、それじゃもう京大にはこれだけの予算は差っ引くことにしますから、と言ったそうです。で、実際にそうなったので、その何十億円のお金は、寄付にならずに、国家の予算として扱われたようになったそうです。これを言ったかたは京大の医学部ですからもちろん憤慨しているのですが、その憤慨は、個々の努力をいっさい認めないのなら、みんなこれから寄付とかそういうものに努力するだろうか、というものでした。
これはとても含蓄のあるエピソードで、また今の日本を象徴する出来事だと思います。また、
案外、戦前の「贅沢は敵だ」というのに似ているのかもしれません。
たとえば、自分の住む町で小学校を改築するとします。国(というか公的な)の資金だけでは立派なものができないので、寄付をポンと出して、立派な建物を造ってくださいといっても、そのぶん公的予算を削られるのなら、寄付する人はなかなかでないでしょう。
みんな、平等なのだから、どこかが突出して立派なものを作ってはならない、という意見がいまの世の中多いですね。でも一方で、庶民の代表のような顔をしたテレビタレントがどれだけの年収があるか聞いたら、びっくりするでしょうが、だれもそういう庶民面を非難はしませんね。だから、なんか非常にヘンなのです。

飲酒運転、公務員だけはそっこく懲戒免職なんていう議論がまかり通ってますが、それはほんとにおかしいでしょう。公務員だけなぜ厳罰になるのか、わたくしにはまったく分かりません(同じこと何日か前に書きました)。公務員が税金を無駄遣いとかすごいいきおいで怒られるのですが、しかたない面はありますが、税金で生活してる人たちは公務員に限らず、たくさんいるのです。だいたい公務員はみなきっちり税金を払っているのです。公務員関係にはとんでもなく薄給のひとたちはたくさんいます。非常勤の準公務員的に働いている人たちは、フルに働いても、ボーナスなしの、月給15万円くらいのひとたちがたくさんいるのです。しかも、博士号や修士号を持っていてもです。

日本の社会がこのようなかたちで公務員叩きをやってれば、かならずひどい報いがおきるでしょう。公務員がどれだけ社会のもっとも重要な基盤的仕事に携わってることを忘れてはいけません。わたくしは、したり顔で公務員叩きをするテレビ関係者などをみると、はっきり憎しみを感じます。わたくしは、人を憎むことはまずありませんが、まったく例外的なことです。
それで思いだしましたが、飛行機に乗るとたまるマイレージを個人的に使うのはけしからん、という議論が最近マスコミで強いようですね。わたくしはもちろん、やってますが、利用した金額を全部、返却せよと言われる状況が今の日本、もうすぐやってくるな、と思っています。

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