やらせ、さくらとか昔よくきいた懐かしい言葉が、飛びかっています。
town meetingという古き良きアメリカ(英国?)的なレトロな感じの政府主催の善意の市民の集まりはずのでしたが、違ったようです。やらせとかさくらとか、日本的な隠語で内情が説明されると、かなりかっこうが悪いことは事実です。こういうスキャンダルは政府に対して、思いのほか打撃になるでしょう。
さくらって、もともと大道でモノを売る人が、誰かに頼んで買うふりをして、景気づけをするのでしたね。
むかしわたくしの知り合いの先輩が、学会発表の前日に、質問をだれかにやってよ、とたのんでましたが、そんなやらせはいかんし、さくらにもなりたくないと、頼まれた側はみんなの前で断ってましたが、わたくしなぞはまあそうかたくなにならんでもいいのでは、とついついおもってしまうのですが、それが政府の政策の国民レベルでの意見を聞く会ともなれば、自ずと国民の反応は違うでしょう。はげしく怒る人はそういなくても、なんだそんなこと、まだやってるのか、と失望の念はかなりあるでしょう。しかし、本当のところ、テレビ番組や色んな会合の主宰者はみんな、これに近いことやってるはずです。
巧言令色、すくなし仁。こんな昔漢文の時間に習った言葉をおもいだしました。安倍首相の守勢に立ったときの、発言時の表情の問題です。首相はたぶん、非常に誠実なかただとわたくしはおもっています。しかし、誠実なだけでは、政治は乗り切れませんから、いろいろ考えあぐねて、灰色というか、はっきりしない発言をせざるをえません。あたりまえのことです。
しかし、首相は腹黒でもないし、悪人でもないがゆえに、表情がごまかしきれてない、という感じをわたくしはもちます。
気をつけないと、この表情を続けると、国民とのあいだに大きな溝ができるかもしれません。本来の人柄を発揮すれば、いいはずなのですが。このタイトルのような人物と勘違いされる可能性があります。失言をしたほうが、いいでしょう、人柄が見えて。
小泉首相、いろいろ失言というか、本音がありましたが、人生色々とか、公約の一つや二つとか、マスコミや野党に叩かれても、結局巧言令色ではない人物と言うことで、人気をたもつ一つの原因となったのでしょう。
そういえば、祖父の岸信介氏もどこかで、能吏という印象を国民に与えて損をしていました。安倍首相は官僚経験もないのですから、能吏ということはありえないのですが、そう見えるときもあります。
その場で取り繕ったのではないかという印象を与えがちな、首相の表情と発言が、注目されます。
週刊誌のタイトルを見ると(中はよんでません)、作家の渡辺淳一氏が、こんかいの腎臓移植事件について、「必要悪」といわれたようです。なかを読んでみたいのです。
わたくしが使いたくて使えなかったのが、この言葉でした。やはり医師であり、心臓移植事件時に至近距離でいた渡部氏でないと使えない、言葉だと思いました。
わたくしが必要悪というときには、悪に強調が行くのでなく、世間では悪といっても、実際にはなくてはならない必要なものという認識なのですが。そのあたり、普通はみなさんどう使うのでしょう。わたくしは、万波医師が生涯をつうじて、腎臓移植に努力を傾けていた事実があり、一方で、その間に世間の移植への認識がマスコミの大キャンペーンにより、ネガティブにかわってしまい、対応に苦慮してるうちに、現場の医師として、渡辺氏が表現するような、行為をしてきたいきさつがあるのではないかと思いました。わたくしは、どういう人かまったく知らないのですが、経歴的に少数者として頑張ってきたので、強い同情を感じています。こういう少数派の評価については、同業の専門家の意見を信用したことがありません。