きょうは、久しぶりに仕事もしないで畑のほうの作業を沢山やりました。
里芋はかなりたくさん取れたので、一部は地中に穴を掘って、並べていれました。
その後の畑に石灰を入れたり、元肥を入れたりしました。そのあとをたがやしたり、また別の畑もあるので、これらをまとめて耕耘機で始めてやってみました。
エンジンは4サイクルので、パワーがあり、始めて使ったのですが、問題なくあっさり使えました。この8年間のあの開墾の苦労はいったいなんだったんだろうという、すごいパワーです。4馬力ですから、当たり前でしょうか。しかし、耕耘機というのはこんなにすごいものなのか、始めて知りました。あの重たい土がまるで野菜ジュースみたいに混ざっていきます。ふーん、という感じです。狭い畑ですから、急旋回が必要なのですが、それもまあまあできます。しかし、わたくしは車輪のない昔風のを買ったので、ちょっと使うのに腕力というか体力が必要です。それに、別売の車輪を買わなかったので、運びが大変でした。これをなんとかしないといけません。それに畝立ての付属品も買わなかったのですが、それも買ってやってみたいと思った次第です。
雨がざんざんぶりでしたが、あっさりとかなりの面積を耕して、葉物の作物と絹さやの苗を植えました。
きょうは、沖縄の知事選の投票日です。
今後の基地移転を考えると、どちらが勝つかでずいぶんと今後の沖縄は変わってくるでしょう。どちらの候補がいいと、沖縄県民の多数が考えるのか、結果についてわたくしも興味津々です。もちろん、政党関係者、政府も多大な関心をもっているでしょう。きょう深夜には結果が判明するでしょう。
学術会議の20年後の日本を想定した、イノベーションの委員会には、わたくし四つ提案したのですが、事務局のほうから、会員および連携会員から集まった全部の案がファイルとして送られてきました。資料は委員限りで、次回の委員会は非公開だそうです。それゆえ、守秘義務がありそうで、なにも話題にはできないのですが、ただ自分が提出したのをここで書いても叱られることはないでしょう。
わたくしが書いた一つは、沖縄県民からは、イノベーションと思ってもらえないだろうとおもうのですが、以下にその趣旨を記してみます。
東アジアは現在政治的に緊張の高まりがあり、軍縮とは反対のトレンドにある。しかしながら、20年後には緊張が緩和し、日本における米軍基地の存在の必須性が著しく低くなっている可能性もかなりある。その時、わが国の米軍基地の70%を占める沖縄の米軍基地の大半、もしくは50%以上が返還されるだろう。そのような状況を想定して、沖縄における新たな発展を現在から研究することが沖縄のみならず、日本全体として肝要と考える。沖縄の日本における重要性は、地政学的、軍事的のみならず、文化的、資源的、自然的、歴史的にもきわめて重要だ。研究所を沖縄において設立し、米軍基地の全面返還をも想定して、持続的な経済発展と県民の生活の向上の方策をたてていく。
研究所は、米軍基地の主要部分が撤退されるということを、想定して、最初からシンクタンクとして積極的な研究、調査、立案を行なう。所員は、政治、経済、法律、文化、歴史のみならず、特に科学、技術に経験知見がゆたかな、所員を集めるが望ましい。割合は半々が望ましい。できることなら、20−30%近くを日本人以外の所員として、雇用する。立案されたことは、沖縄県民のみならず、日本国民にも周知し、基地返還以後の沖縄における近未来像を確立していくことが肝要であろう。また、沖縄の地政学的な特徴と過去の歴史を鑑みて、沖縄を東アジアにおける、平和の拠点として変化させていく上での方策を立案する場所の一つと考えていくことも可能であろう。
内閣府直属の研究所もしくはNPO法人もしくは独立行政法人として、沖縄県と各省庁の協力のもとに設立する。所員は50人から100人程度。沖縄科学技術大学院と同一のキャンパスもしくは、近接におくことが国際性の担保にいいかもしれない。首都圏に作らないことが成功の必須要件。年間予算は、人件費込みでも20億円以下でまかなえるであろう。政治的に中立を保てなおかつ、豊かな経験と知識をもつ、所長候補の発掘が成功のための、一番大切な因子。
沖縄の問題はともすれば、過度に政治的に扱われる傾向があり、本研究所も政治的な対象となる恐れがある。また、県民の過期待が高く、いかなる案も正当な評価を受けがたい可能性もある。しかし、基地返還は決して絵空事な事案ではなく、20年後を想定すれば、ほぼあると想定することが常識的であろう。あくまでもプラクティカルな見地にたって、なおかつ冷静にして客観的なシンクタンクの活動を今から始めることが非常に大切であろう。基地返還時にはきわめて有効な存在であったとみなされるだろう。