カタカナの起源、沖縄知事選の結果

同じ町内に住む、経済のS教授からときおりカタカナの話しを聞いてました。ひらがなが古いのは知ってましたが、カタカナも同様に古いという、あたりまえの常識がなかったのですが、仏教教典のフリガナとか、役所の文章で、機能的な文字として、使われてきたらしいです。使用の統一基準もあまりなく、かなりバラバラな使い方で、漢文の補助的な役割を果たしてきたらしいです。また文学性や優美性のあるひらがなと異なって、カタカナはひたすら機能的だったとのことです。そういえば、いまは外来語、つまりカタカナ全盛ですが、明治以降の書物ではルビにも使われていたし、なるほど外来語専用ということではなかったのか、と妙に感心しました。ひらがなは、女性がつかっていたし、続き文字でも書けるのに、カタカナは続け文字もできないし、上手下手もなさそうだし、長い歴史、日陰者的に存在して来たことがわかります。ただ、明治以降の教科書などでは、全文カタカナ文章などもあったようです。
中国から渡来した漢字だけを使っては、もともとあった日本語をうまく表現できないので、その不自由さが「爆発」してできたのが、カタカナとひらがなと、Sさんは言い残して行きました。成る程とすこしなっとくしながら、構内の赤く染まり始めた紅葉を見ながらラボに向かいました。

昨日の沖縄知事選ですが、やはり経済を重視した沖縄県民の多数の願いが結果にでたのでしょうか。全国最高の失業率、全国最低の県民所得に強い危機感をかんじると、自民党が支持する候補をサポートせざるをえない、県民のジレンマを感じます。
ただ、興味深いのは、支持政党なしの人の3分の2が、糸数さんをつまり基地移転というか、基地反対の票を投じていることです。
支持政党なしの県民の多くは、決して収入も多くなく、いわゆる既得権者ではないのでしょう。そのような人たちの多くが、よりよい経済よりも、抜本的に基地を無くして欲しいという、強い願いを出しているようにも思えます。このことの持つ意味は大切だと思います。
稲嶺知事は常に苦しい立場に追い込まれていましたが、一生懸命最善をつくしているように思えました。いまはひとこと、ご苦労様と申し上げたい気持です。
沖縄が日本の政治に振り回されて、いまだに基地経済と補助金によって支えられているように見えますが、それでは代わりに何を持ってきたらいいのか、そこのところを本土の民主党も社民党も格別の案を持ってるようには見えません。それでは、沖縄で知事をとって、政府案に反対しても将来に希望がもてないと思うのです。

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