日曜日、天気もいいし農閑期でもあるし、歩く日にしました。
朝は、山沿いに近江舞子の駅周辺までいって帰りは湖岸沿いに帰りました。
あるくひとはわれわれ以外には誰もいません。
やはりガイドブックかなにかに出ないとこういう道も知られることはないのでしょう。また、地元の人たちが歩くことがないのは、日本は都市以外はどこもそうなのかもしれません。
早朝には比良の頂きにすこし雪があったようにもみえましたが、目の錯覚かもしれません。風は冷たいのですが、里山がいちばん静かで平和に見えるときかもしれません。
途中で一本寂しく立っていた、蜜柑の木から、何個か頂きました。
午後は、駅前の定番の店で昼飯を食べてから、山のほうで歩きました。久しぶりに、涼峠まで行きました。道中二組の下りの登山者と会っただけでした。一組は、鈴を鳴らして歩いてました。やはり熊が意識されているのでしょうか。10キロくらい離れたところでは、竹林で後ろから襲われた男性もいたとか。
そういえば、昼飯のメニューの一つに、熊肉を食べるのがありました。何度か、食べたことがありますが、昨今の目の敵にされる、熊は可哀相な気もします。日本では、テディベアの人気はあまりないのかな。
読売新聞にこんどは毎日新聞とはかなり違うアングルでの記事が出ました。見出しは、理事長、週1でも“常勤”…沖縄科技大準備法人とあります。つまり、わずかな日数しか理事長は、はたらいてないのではないか、それで常勤とはいかにと、問い質している記事です。
現地・沖縄県の機構事業所(恩納村、うるま市)に出向くのは、63日間の3分の1程度で、重要な会議や、機構の研究者の面接時などに限られていた、ともあります。
これに対して、内閣府の沖縄振興局新大学院大学企画推進室という舌を噛みそうな名前の部局の次長さんは、「日本にいなくても電話やメールで連絡を取るなど職務は責任をもって果たしており、現在の勤務状況は『常勤』と解釈できる」と説明している、と記事にあります。
わたくしは、ここでは内部の人間でもあり、職務上知ってることも多々あるので、勝手な意見をいうのは控えたいのですが、ただひと言いいたいのは、どうして、また現地にもいない霞ヶ関のかたがそのように断定した意見を言えるのだと、疑問です。
これは、一般論として沖縄と東京という関係にしばしばあてはまるようです。
基地問題一つとっても、知事さんによって代表される沖縄県民の気持や考えは東京にはほとんど伝わらないような気がします。そして、沖縄県民を代表して米国と交渉するのは、東京の霞ヶ関の官庁や内閣の人たちです。沖縄県民は75%の基地を押しつけられてるのですが、なんの主体的権限を持ってるようには見えません。
この沖縄大学院の整備機構も似たような構図になっているようなのかもしれません。内閣府という役所の影響が圧倒的に強いのでしょうか。記事からもほの見えるものについて、そんな感想をもちました。この機構には専属の理事も監事もいるし、さらに、機構の全体に関しては、日本名は知りませんが、ほとんどがノーベル賞受賞者からなる、Board of governersといわれるお目付役的な組織もあるはずですが。
この独立法人である機構では、沖縄の現地では研究者と事務関係で、もうすでに100人近くの人たちがフルタイムで働いているのです。このようなひとたちを代表して、内閣府のかたがはっきりした判断をおろしている構図はあまり気持ちよくないし、かんばしくありません。
ただ、これはコメントの一部を切り取っているので、真意は分かりません。
ですから、次長さんを追求する気などはありません。ただ、わたくしなりに、発言できる範囲で、問題の所在を明らかにしたいおもいました。