老人となる、名古屋大学での講義

こんどの台湾旅行のあいだ何回か65才以上は無料で入場可という場所を見かけました。あいにくというか、パスポートのような証明書を持ってなかったので、無料の恩典の経験はしませんでしたが、なんとなく口惜しいような残念なような気分も味わいました。その理由の一つに掲示に老人とはっきりかいてあったので、それがやはりいやでした。別な場所では、長人だったか見慣れない表現があったので、それならいいと思いました。夏目漱石も松尾芭蕉もわたくしよりずっと若い時期にこの世を去っているのですから、なにも老人と呼ばれて不満があるはずがないのですが、でもやはり老人と呼ばれると、正直いやなのですね。しかし、孫におじいちゃんといわれるのは全然いやではありません。

きょうは午前中ラボに寄って、何人かの人の最新のデータを聞いてから、昼頃に名古屋に向かいました。けさは、このあいだ買った家具を妻が家に運ぶのを手伝ったりしたので、車でラボまで来て歩いてないので、徒歩を稼ぐためにラボからは三条通りまで徒歩で行ってそこから、地下鉄で京都駅まで行きました。約4000歩あって、ちょうど時間通り、新幹線に乗れました。名古屋駅はついこの間来ましたが、地下鉄の東山線は久しぶりです。本山から名大までの新しい地下鉄名城線に乗るのは今回が初めてです。
名大もかなり久しぶりだということに気がつきました。キャンパスは新しそうですが、案内図はおもいきり分かりにくく描いてあって、どうなってるんだと、腹が立った頃、昔の名大と何も変わってないことに気がついてそういう目でみたら、急に目的地のMDさんの建物が地図など不要で分かりました。建物はトイレがきれいですが、あとは昔どおりです。
午後3時から、1時間わたくしの研究の(イントロダクション的な内容の)話し、そのあと、「わたくしの研究観」ということで、また1時間話しました。
質問は、学生さんが呼んでくれたはずなのですが、ほとんどなく、先生方のほうからいくつも質問がありました。
聴衆はわたくしが予想していた三倍はいましたが、もうすこし学生さんから質問があると思っていたのでがっかり。質問がないのならなんで、わたくしをよんだのだろうという、疑問がわきました。今年の講義で若い方からの質問がいちばん少ない経験です。このあいだの、奈良先端も昨年と比べる格段に質問が少なかったのですが、それでも鋭い質問がいくつもあって、少数ながら精鋭はいる、という印象がありました。名古屋は景気がいいからなのかな、精鋭はどこかにいってしまったのかな、と関係ないかもしれないことを考えました。
講義のあと、MDさんとHさんに連れられて、食事を一緒にして歓談しました。わたくしのあまりしらない、大学関係の研究費の色んなトレンドを教えてもらいましたので、勉強になりました。現役教授でなくなるというのはこういうことなのか、と思いました。世の中がだんだん分からなくなる、という点で。

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