兄が妹を殺した事件、やはりかなり長い期間の家庭内暴力があったようです。
詳しい事情は分かりませんが、家庭内暴力の存在は外見には分からないと、河合先生の講演でも聞きました。実例を聞いても、家族内の特有な関係で起こりやすく、誰もがしるような顕在化した暴力はまだ健康的なのかもしれません。
ともあれ、最初の怒りの沸騰で兄姉のあいだで殺人が起きたのではなく、かなりの長期的な葛藤を背景にしているのであれば、より分かりやすいでしょう。ただ、このような事件を起こさせないようにするのは容易ではないでしょう。アルコール中毒のように家庭内暴力を始めだした人々を治癒するのは大変なようです。中毒という根本は似ていても、時代の変化に伴って、中毒になるものが違うのですね。われわれの頃は、せいぜいテレビとか、古典的なアルコールや覚醒剤、賭博中毒があったようにおもおうのですが、いまはゲーム、サラ金借金、ショッピングから、家庭内暴力のようなものまで中毒的なものとしてみなす必要があるような時代らしいです。
朝日新聞で、失われた世代とかいうので、いまの30代前半を対象にしたシリーズの記事がでていますが、わたくしはまったく読む気がおきません。よんでもたいした知識が得られないからです。この世代は就職氷河期のピーク期に大学や高校を卒業した年代で、いまはフリーターなどの主たる層を作ってるのです。
彼等が、高校を卒業する頃、大学の定員が約40万人くらい足りなかったのですが、世間も文科省もみかけ知らんふりでした。彼等の多くは親のサポートもあり専門学校に行ってますが、本当は大学に行きたかったので、そのあたりからうまくいってないのです。就職氷河期はまるで天変地異、自然災害のようにおもわれ、誰も政府や企業を批判せず、可哀相にと言うひと言で、不運な世代と言われたものです。というか、新聞などではなにも取り上げず、今日を予測するような記事があったわけでもありません。
バブルのはじけたあとでもあり、人々はそれどころではなかったのでしょう。
そういう「当時は余ってしまった」若者は社会的にも行政的にも何のケアも払われなかったものです。その時から、10数年経って、今頃記事にしてどうしょうというのでしょうか。そのような記事でまたあらたな誤った進路を選ぶ人達が多くないことを願ってます。
本当は、ある意味で、第二ベビーブームの世代で日本が活力を産むことのできる最後の人口増の波を「人材を生みだす」という方向で利用できなかったことは、非常に残念でした。
もちろん、安倍首相のいうように一部は再チャレンジで、良い方向に転換できる人達もいて欲しいと願います。しかし、大多数のこの世代にとって、実際には非常に厳しいでしょう。それは、なぜでしょうか。新聞記事は、こんにち目に見えにくいかたちで、行政のコントロール下にありますから、そのような記事がなぜ出てくるのか、新聞社の意図でなく行政の意図として見ると、見えるものが多々あります。
さて、いままさに進行中で誰もそれほど話題にしない、深刻に受け止めないことが、真の大問題なのだと思います。
そのことを今日は書いてみたかったのです。
端的にいうと、このフリーターを沢山生みだした世代の父母(主に父親)、つまり団塊の世代が続々と今年は退職しますが、彼等のほとんどがもう勤労しない、働かないでこれから死ぬまで日本のどこかで生き続けていくと、思いこんでいることです。
周りがそうなのだから、自分もそうなる、これは日本人がこれまでやって来たことです。
団塊の世代もその数年上の世代のように、会社を辞めたらあとは年金や蓄えで、やっていける、無言のうちに思いこんでいるわけです。
でも本当にそうなのでしょうか。
いま日本人男性の平均年齢は78才くらいですから、あと18年日本の社会経済が順調に回っていけばいいのですが、本当に大丈夫でしょうか。
わたくしは、周辺をみていわゆる会社勤務だった人の大半がまったく勤労をしなくなる様子をみて愕然としています。
農業や自営業のひとなどはみな体の続く限り働いているのに、どうしてサラリーマンだけがそのような60才で勤労を止めてしまうのか、まったく不可解な「団体行動的な症候」とおもっています。
わたくしは、なにごとによれ、あまのじゃくなので、死ぬまで研究の現場で生き続ける方策を考えています、それが駄目になったら、いかにして勤労する下、そのことばかりを考えるでしょう。周りには迷惑でも、職場で死ぬというか、昨日まで職場にいたのに、昨夜家で死んだみたいですよ、とか言われたら理想だなと思っています。
こういう人間から見ると、団塊世代があと20年近くの余命を残して、一斉に仕事をしなくなる、お金を稼がなくなる、そのような気分でいて、まわりもそうだそうだ。素晴らしい消費者になるのだと、囃し立てる、これが日本で現在進行中の最大の問題だとおもっています。