わたくしは若い頃からおりおりに偏見に満ちた発言をして、周囲の顰蹙をかったものです。もちろんいまもですが。
いまはふたりとも偉くなってしまったH君やM君が院生ではいってきた頃には、おもわず日本は徴兵制が必要だなどと言ってしまって、怒りをかったものです。でもそのふたりも、いまの若者にくらべたらずいぶん力強かったようです。
最近は、よせばいいのに、中学校で、せめて軍事教練のまねごとをしてほしい、などと言ってしまって、周囲を凍らせてしまうこともあります。でもこれも冗談でいってるのではないのです。
弁護士法に違反したとかいう、西村議員が有罪でも執行猶予がついたので、議員を続けると記者会見で言ったそうです。
いいのではないですか。そういう決まりがあり、本人が望むのであれば。いずれにせよ、選挙民の審判はしばらくすれば受けるのですから、ここは議員特権を利用して、やりたいことをとことんやればいいでしょう。
西村議員は確信的なナショナリストというか右派系思想の持ち主です。彼の所論の細部にいたってわたくしが賛成してるわけではありませんが、言動は責任を持っていってるのでしょうから、そこらの軟弱二世三世議員よりずっとましです。ユニークかつ信念の人物として、わたくしも注目しています。しかし、まだかれの体系的思想の根っこのところはわかりません。とりあえず、議員を辞めずに頑張ってほしいとおもいます。
これもきわどい発言なのですが、日本の女性は世界の一等市民、日本の男性は世界の三等以下市民という、言い方でこれは年季があってもう30年以上言い続けてました。
しかし、もうそろそろ言うのはやめようと思ってます。いまの40代以上の女性をみるとだいたい、海外にいけば男性に「もてる」キャラクターを有していますが、それ以下の年齢の日本の女性はその特質が年々低下してるように見えるからです。
日本の男性は海外では女性に持てない、これはいまでもかなり普遍的な真理のようです。わたくし自身、痛感した経験からものをいっています。やはり異文化に住む、異性にもてないようでは、一等市民にはなれません。
わたくしも、30代から研鑽に励んで、50代頃から海外で女性に受けがよくなってきました。その頃から、はっきり手ごたえがあります。やはり努力のしがいがあります。
なぜ、日本の最近の若い女性の海外男性から見たときの魅力が低下してきているのか。それは、たぶん日本の父親の物わかりがよすぎるというか、存在感が希薄になってきたことと、深い関係があるのでしょう。
たとえば、向田邦子の魅力の相当部分が、彼女の父親にあることははっきりしています。
日本の女性の一等市民的魅力は、彼女たちの父親によって作られたといってもいいのでしょう。逆に、日本の男性の世界レベルでの異性からみた魅力の乏しさは、かれらの母親にそうとうな原因があるとみていいと、そんな風にわたくしは考えてきました。不思議な交叉的な関係ですが、原因と結果のあいだにはなかなか面白い考察すべきものが多々あるような気がします。
研究とは関係ない、無責任な仮説ですが、でもまあ一見ほんとそうに見える仮説です。
わたくし、子供がふたりの時期が3年くらいありましたが、その結論は、家族として合理的すぎる。つまり、両親にひとりずつ子供がいるのはえらく合理的な感じがしたのです。
子供ひとりだと一種の取り合いがあり、三人だとひとり余るというか、みそっかすがでるという点で、面白いと思いました。わたくしは、家族は面白い、という価値観が大切だとおもいます。
健全とか健全でないとか、そういう見方をもったことはほとんどありません。
わたくしが30代の頃には、世界の人口が急増している時代で、子供を作らないのが、インテリの役割だと強く主張する人々が周りにおりました。
そういう意見には、わたくしは、そんなことは他人に言うことでもないし、いわんや政府が強制することでもない、と言ったものです。つまり当時の左翼系は中国での一人っ子路線をさらに進めれば、ゼロ子路線があると思えたのでしょう。
時代によって、意見は変わるのです。わたくしはほっといても、どう頑張っても日本の人口はいまの半分くらいには確実になると見ています。
その頃には、ゆとりもあり、ひとりひとりが自分の意見をしっかり持った、世界から羨まれる国民国家であってほしいとおもいます。
人口減少の傾向に、政府や企業が本格的に抵抗しようとすれば、大々的な移民策しかないでしょう。
しかし、それは本当に愚かな策だし、いまは考える必要のないことでしょう。