義母の死去

義母が亡くなりました。
本人の強い希望もあり、近親者のみでの葬儀がおこなわれました。子供、孫、それにひ孫とあとは本当に数人の近親者のみがが、通夜や告別式に集まっただけでした。静かな中に、みなが義母の死を悼む気持に溢れていました。臨終の時も、やはり子供達を中心に近親のものだけがあつまりました。意識は最後の最後まではっきりしていて、わたくしもお別れの気持を交換することが出来ました。
義母の病気は去年の11月末までは小康状態でしたが、それから急速に悪化したようでした。妻も東京と行ったり来たりでしたが、それなりに心の準備はできていたのではないでしょうか。
わたくしにとっても、これで親と名の付く人はすべていなくなりました。31才の時からですから、35年間、おかあさんと呼ばせてもらいました。
義母は大正の終わりに生まれたのですから、日本の近代史とともに、長い激動の時期を過ごしてきた世代に属します。
死をまぢかに臨んでも、死を恐れてる気配はまったくなく、実にいさぎよい態度でした。もともと立派な女性として尊敬してましたが、感服しました。わたくしも、ぜひとも見習ねばなりません。
死の10日ほど前に見舞ったときにも、いまはあちらのほうから呼んでくれる人たちと、こちらでまだまだいてと、呼んでくれるひとたちと半々くらいで、どうしたものだろうね、と微笑みながら言ってました。
娘の子供達をとてもかわいがっていて、なんどもなんども遊びにいってくれたようです。残された近親者達に、義母の慈しみの心は永遠に残るでしょう。

わたくしは、臨終に近い義母の姿が自分の母の時に重なったのですが、妻も妻の妹もわたくしの母と似ていると言ってましたので、わたくしだけの感覚だけではないようでした。
母親の死は時とともに強く意識されるものです。近親のものたちにとって、義母の死も、亡くなって始めてわかることが沢山あるとおもわれます。

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