いま研究室のE君の結婚披露宴から帰ってきたところです。
とてもいい雰囲気でかれは良い伴侶をえてほんとによかったな、という感想をもちました。
E君は最後にスピーチをしましたが、しっかり決めてやっていました。お父さんが大学一年の時に亡くなったと言ってました。成長を見守ってくれたけれども出席していない、祖父や祖母への気持も気合いを入れて、しっかり述べていて、正直みなおしました。
新婦は、元全日本クラスのランナーだったと聞いて、最初あったときに感じた爽やかなものが具体性をもって理解できました。
親族主体の結婚披露宴でしたが、それが意味のあるものとして、感じられました。
帰路、京都駅から50分もかかるのに、閉口しました。途中の駅で特急のまちあわせで8分も待つのですから、いやになりました。
きょうは出かける前に、沖縄と京都と両方でやっているプロジェクトのデータをためつすがめつ眺めているうちにちょっとしたことに気がつきました。これが、ちょっとしたことでなくて、本質的に重要なことだったらいいのですが。ともあれ、こういう「現場の」時間をもてることに、感謝せねばなりません。
増えない細胞がいかにして生を維持するのか、これが沖縄の研究の主たる問いかけですが、3年経って、そう言う問いかけが意義がある、十分にチャレンジする価値があり、なおかつその問題を解くためのデータが集まりだしているという、たしかな実感があります。