地方国立大学の話題

今朝の朝日新聞で、地方の国立大学は、競争原理を強く導入されたら、半分くらいは立ちゆかなくなるだろうと、学長さんたちが言ってるという記事が出ていました。
どう立ちゆかなくなるのか、教員の給料が払えなくなる(今の水準での給与ですが)のがたぶん一番はっきりした推測だろうといわれています。
競争原理の導入とはどういうことかというと、国利大学法人全体に使う国(税金)のお金の総額はいままでどおりで、当然の権利としていままでもらっていた先生方の給与、建物などの維持費などの運営経費を減らしつつ、そこで余って出てきたお金を競争資金に廻そうというものだとおもわれます。
民間の経営者はそれを当然と思うらしいのですが、いまの国立大学法人の運営にたずさわる先生方にはそう思えない理由が沢山あるのです。
結局、民間では企業倒産というのは常にあるのに、大学人には倒産という概念は基本的にない、それからお金を使うことはできても、お金を生みだすことはほとんど出来ないということで、大学を企業と同じに考えられたら、非常に困るという意見です。わたくしも、大学人のひとりなので、なかなか民間企業経営者のような考えにはなかなかなれません。

ただ、最近聞いた話しですが、昨今の授業料の高騰もあり、文系では上手にやれば授業料だけでも経営費の相当部分が出せるのではないか、という意見があります。お金食いの理系から独立すれば、私立大学と似たような経営も導入すれば、国からのそこそこのサポートがあれば、文系はかなり自前でやれるのではないか、というものです。いっそ理系と経営基盤は分かれてやったら、文系だけで、ずいぶん楽しく、個性もだせていいことができるのではないか。だいたい大学の会議のややこしいのは理系の議題が多すぎるし、一緒にいてもなにもいいことないし。この意見がどこまで本当かちょっとわからないのですが、意外に今の大学の置かれている本質的な問題を示しているかもしれません。
大学の文系の教員になれるのなら、かなり低い給与でも喜んでなるひとたちは、多くいるだろうと、わたくしは想像します。小説家や芸術家でなかなか食べていけない人達が多いのですから。
それじゃ、理系はどうなのだろう。競争原理に負けてしまうかもしれない、大学の工学部、理学部、農学部などはどうなのでしょうか。
文系のように授業料だけで研究費を捻出出来るとはとうてい思えませんから、新聞にあるように、半分くらいの大学で理系学部はなどは立ちゆかなくなるかもしれません。しかし、そうなったら、日本の科学技術はどうなってしまうのか、誰が考えても、大変な問題になることは明白です。官僚も政治家も即座にそのあたりは分かるはずです。
ですから、結局理系を助ける方向で国が動くだろうと、誰もが予想するはずです。

となると、地方国立大学の理系を救済して、本当は授業料だけでもやっていけるかもしれない、文系を縮小もしくは廃止して、教員給与を減らす、などという結果になってしまうような気がします。あまり楽しい予想ではないのですが、そんな予想しかできません。

地方国立大学の研究などの水準はどうでしょうか。実際のところ、研究や卒業生の水準にデコボコが相当あるのです。ただ、沈滞ということばがピッタリするような雰囲気のところが多いのは事実です。なぜなら、大学序列が、偏差値と同様にあって、その抑圧効果はものすごいものがあるからです。大学序列はまったくの張り子の虎だと思うような人達がたくさん出てくるといいのですが、逆にそれをますます強く感じざるを得ないような流れが昨今の独立法人化以降の大学の様子らしいです。
東京での富の集中化とか、格差社会とか、感じたくなるような現象がたくさんあるのですね。
ただ一番大きいのは、反骨精神とか反権威とか、そういうものが一流といわれる格差の上の方にある大学でも、非常に希薄になっていることです。ですから、地方国立大学の多くでは、理系の未来は明るくないでしょう。なにか抜本的なことをしないと駄目でしょう。それが、民間出身の経営者には見えるらしいのですが、通常の大学人にはなかなか見えないのです。

ただ、わたくしの個人的体験からいえることは、国立大学の理系出身者の能力は相当に高いのです。彼等が、「燃える」ような体験をすればトップクラス、ワールドクラスの研究者になることは、決して難しくないでしょう。
わたくしは、全体的にみれば、京大出でも地方大学出でも差はないといつも断言しています。
そういうわけで、サッカーのJリーグのようにいまや地方チームのほうがずっと強いようなことは流れが変わりさえすれば、ありうるとは思うのです。

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