きのう、B眼科で処方された目薬はベストロン点眼とかいいまして、液体と粉末のそれぞれ二瓶をくっつけてカクテルのように混ぜるというもので、ちょっと気に入りました。面倒くさいのがですが。一週間しか持たないのも気にいりました。古い点眼液を大事な眼に入れるのはいやですから。
今日も、朝からずっと研究上の議論もしくは今週末から始まる、沖縄でのワークショップのスライドを作っていました。K君との議論は交互にしゃべりますが、N君との議論はわたくしがほぼ一方的になりがちですが、でもさすがに今日はN君もなにかいろいろ言いだしてます。このブログをよんでるのでしょう。
朝は5時頃から起きているので、午後4時(今の時間ですが)くらいになると、だんだん今日もよく働いたなという感じになります。
しかし、きょうも寒い朝でした。デッキはしっかり凍ってました。
夜は遅くまでラボにいないようにしています。このあいだ、湖西線が風で停止してしまう経験をしまして、日本海の天気の影響を受ける場所で住む人間はなるべく夕刻には家路に向かうのが正しい人生態度であると、思うようになりました。
さて今日のタイトル、なんかすごいですが、去年学術会議の委員会でイノベーションのことをやりました。20年後の日本とかいうもので、面白い経験でした。わたくしの提言もそれなりに、他のかたの意見と混ぜられて取り入れられていたようでした。
その頃、日本はこれからどうなる、というのをそれなりに考えたものです。しかし、それはイノベーションとは関係なくて、単にこれからの日本の予想です。裏イノベーションみたいなモノです。深い意味も、権威もない予想ですが、ひとりよがりに面白いものです。そんなものを、これからしばらくおりおりにここで書いてみます。
最初の予想は、日本ではこれからしばらくのあいだ、大事なことは国論がたいてい二分するのではないか、というものです。国論というと、なんだかすごい感じですが、世論調査したら、賛成30%、反対30%、わからない30%、もしくは、家庭内で妻(母)賛成、夫(父)反対、そんなものも国論二分としましょう。また大事なこと、といってもそんな小難しい問題ばかりを言ってるのではありません。
例えば、子供が家で俗悪マンガを読むのをどうするか。お母さんが反対で、お父さんが賛成、こんなものもけっこう大事なことです。わたくしの家でも妻はマンガきらい、わたくしは読みたいだけ読み倒しなさい、という過激賛成派でした。それでマンガについては、子供には適切な環境だったようにおもいます。だいたい俗悪といいますが、だれが俗悪ときめつけるのか、それにだいたい俗悪がわからなければ、健全とか格調のたかいものも分かりません。
それで、すこし真面目にいいますと、国論が二分するようなものがあったら、それは健全なことだし、また大切な問題に違いない、と思いたいです。
だからとりあえず両論をにらみながら議論を先に進みましょう、両論併記がだめなら、多数決はとりましょう。少数派は多数派に従うけれども、多数派は僅かな差なのだから、少数派の意見も十分に取り入れましょう。激突はやめましょう。こういうことですか。
国論の分裂はOK,意見の二分は健全というふうに考えるべきです。
しかしながら、マスメディアもいろんな公的機関は国論二分は居心地がわるく、眼の敵にしがちです。
一方の側の意見、モノカラー、単色にしたがる。
これはいけません。
そこでこれからの日本の予想は、モノカラーになったときが危険というものです。
周りを見回して、モノカラーになってることは、みな何か問題ありと考えるといいのかもしれません。バブルがはじける寸前の日本みたいなものですか。
いまだと、米大リーグの日本選手の活躍の報道態度なんかもモノカラーでいやですね。
北朝鮮拉致問題も意見がモノカラーになりがちです。北朝鮮に甘い態度を取れとは言いませんが、意見が二分するような問題提起があったほうが、かえって解決しやすい状況が生まれてくるかもしれません。
この学術会議もいかなる意見も一致した意見でなくては表に出せないということらしいです。大切なことを隠すようなことに結果なってるのですが。
外国からみた日本は、国論は色々ある国とおもわれるのが一番安全でかつ外国人にも親しまれて、いいとおもいます。