研究費をいかにかせぐか、東大のひとり勝ち?

外へ出ると、研究費のはなしがよく聞かれます。当たり前のことですが。
京大のように研究費のはなしをするのは長いことタブーだった大学でも、京大広報なる学内情報誌でなにのなにべえがこれこれのこういう研究費を獲得したと、麗々しく書かれるようになりました。わたくしなどそういうトレンドになる前に、退職してしまいましたが、そういう風にまわりがざわざわするとやはり現役のかたがたにはプレッシャーはあるのでしょうか。
たしか、いつだったか、いかにして科研費などを獲得するかという類の知恵を授けて欲しいということで、レクチャーをして欲しいと内々に京大のどなたかに頼まれていいですよ、と返事したのですが。内部でそんなはしたないことをいう奴のレクチャーなどさせてはいかん、という強硬な反対があり取りやめになったとか。わたくしには痛くも痒くもないはなしですが。ずいぶん狭量の先生がいるなあと思ったら後で聞くと、工学部のえらいさんでしたとか。

しかし、最近いちばんよく聞くのは「東大ひとり勝ち」というフレーズです。
わたくしの面前で東大の先生が直接そうのたまう時代が、やってきています。
どういう実感を東大の先生いが感じているのか分かりませんが、強い実感がおありになるようです。
京大の有力な先生に聞くと、そうでしょう、そういわれてもしかたない状況でしょう、なのだそうです。わたくしは、現役の先生の感覚から疎くなってしまって、いますがこのあいだ、約30分ほどなぜ東大ひとり勝ちといわれているのか、というレクチャーを聴かされました。
ひと言で、大学経営の差なのだそうです。それはそういう気もします。
わたくしは前から、京大の長期低落を憂えていろいろいってるつもりなのですが、反応は上から下までさっぱりです。
長年にわたる良い研究をするひとも何もしないひとも平等にあつかう「美風」がここにきてなんの役割も果たしてないようです。
何もしない人は昔は静かにしていてくれたのですが、いまや大学の一番の中枢にはいって、教育教育とさわいで良い研究をする人の時間を沢山取っているのかもしれません。
困ったことです。
しかし、東大のひとり勝ち、気になるはやり言葉です。本当にどうひとり勝ちなのか、もっとその言葉のもつ詳しい意味を知りたい気があります。
この言葉、明らかに東大自らが発しているので、吟味する必要があります。
たぶん、それを東大の執行部がそれを目指していると、考えるとよく分かります。既に達成しているとはわたくしは見ません。
ところがそこで面白いはなしを聞きました。京大の生命科学、柳田先生や医学部のH大先生もいるけれど、もうおふたりともゾンビみたいなものですよ。ご本人はまだ生きてるつもりでしょうが、生きてる研究者とは京大本部でもまったく思われてないというじゃないですか。これには、返事できませんでした。しかし、わたくしは京大として戦力じゃなくても、日本の戦力と思っているから京大の軒下で雨露をしのげれればそれでいいのです。

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