移植におけるドナーの置かれる立場、石井部隊をかんがえる

しばらく前に万波医師の病腎移植のことにふれましたが、そのすぐ後で、あるかたからわたくしはもっと臓器ドナーのことにも触れるべきだという意見を述べたメールが来ました。お返事は差し上げていませんが、気にしてるトピックではあります。
万波医師はクズという表現でもういらなくなった病気腎臓器といってますが、それの正否はともかく、生体肝移植で使われる肝臓組織はくずどころかきわめて正常なものを切除されるのがドナーの立場です。この方が触れていたケースは生体肝移植でドナー側の立場にたったものが大変に辛い思いをしているのでした。
腎臓では二つあるので、近親者が提供するのは一見問題なさそうですが、決してそうばかりはいえないでしょう。いわんや肝臓は切っても元に戻るという前提で手術がおこなわれますが、個人差は相当にあるでしょうから、完全に元に戻るという保証はないはずです。切除されたドナーの平均寿命がどのようなものになるかはたぶんこれから分かってくるはずです。もちろんそれ以外にドナーの心理的なネガティブな効果もあるような気がします。移植にはドナーにとって、健全な組織を提供する場合相当な覚悟が必要なことはあきらかです。一般論でいいとばかりはいってられません。人はみな違うのですから。
さらにドナーが肉親で受け取った側が手術が成功しないで死去した場合(かなり高い確度であると聞きます)、心理的なショックばかりでなく、きわめて高額な医療費があるので(成功してもおなじですが)、二重三重でのつらさが襲ってくるわけです。
ですから、移植手術が高額にして、リスクが高く、正常組織を提供するドナーは肉親であれば患者におとらず辛い思いをする、これが実態でしょう。

首都圏でなく地方も地方で行われていたクズと表現された病腎移植を大都市中心の医学界権威とマスコミがうさんくさい、と目の敵にするのはよく分かります。わたくしは詳しいことは分かりませんが、いらなくなった病腎を使うなんてなんとクレバーなんだろうと、最初おもったのですが、学会権威はそんな病腎をつかうのはまったくけしからんと論証するのに、明け暮れたいたようです。なんとなくよく分かります
この方への返事になるとは思いませんが、ひと言書いてみました。

今朝の読売朝刊(なぜか妻がしらぬまに新聞を読売に変えましたのでいまは毎日読売をみています)によると、医学界総会において731(石井)部隊で多くの無辜の中国人を細菌感染させて殺した「作戦」に従事していた元兵士が証言したとの記事がありました。88才だそうです。内容的にはこれまでしばしば言われたり書かれたりしていたこととことなりませんが、医学会総会において証言がなされたという点がニュース性があるのだと思います。その点で記事にした読売は正しい判断とおもいます。
石井四郎元中将は京大医学部を首席で卒業した俊才であり、細菌戦に着眼して日本軍において独自の細菌兵器の開発おこなったものとして非常によく知られた存在ですが、日本の医学界でもまたたとえば京大医学部でもつまりアカデミズム側からの組織的にして真摯な探求が行われた気配がありません。
特にこれも周知のことですが、緑十字の創設者や経営者であったひとたちが、この部隊の出身者であったことは、石井部隊で習得した大量製造技術にからんであるいみ歴史の必然とも思えます。
これもよく知られているように、石井四郎氏自身、1950年代の終わりまで存命し、また部隊トップの関係者も80年代の後半まで存命し、若い兵士であった今回の証言者が88才であることを考慮すると、まだまだプライマリーな情報を部隊関係者から得ることは可能だと思えます。もちろん作家やメディア関係者が既に精力的に調べてきたことではありますが、医学関係学会が正式に本気になって調べたとはわたくしの記憶にありません。
大半の情報が石井氏自身の供述をもとに米国に行っていますが、それもたぶんそう遠くない時期に公開されるでしょうから、未来志向的な調査を日本側もしておくことが望ましい時期に来ていると思います。

従軍慰安婦問題も、安倍首相の不用意な説明というかいわずもがなのひと言によってここまで世界的に日本がひどく非難される状況になるわけです。
石井部隊は決して人ごとでもなく、また完全に過去のことでもありません。
日本では歴史的に、国策とか国益とかいう主張とか激励というのかencouragementが出てくるところでは、常に危ないことが現場で起きているかもしれないと、用心すべきと、わたくしはいつもおもっています。

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