きのうから学術会議の総会がありましたが、今日の朝からの部会と午後の総会に出席しました。
正直な感想を書きにくいので、すこし関連したはなしで感想のかわりにします。
基礎的な科学者の多くというか大多数が日本では国民の払う税金によって、生計を立て、研究資金と研究環境を得ているわけです。ですから、科学研究の成果が国民によいかたちで還元されなければわれわれにとって申し開きがたたないことはあきらかです。
別なケースで考えてみるとこの状況はきわめて明確です。たとえば俳句とか和歌で生活を立てるのは至難のわざです。別に職業を持つとか、もともとお金持ちとか極貧でも平気とかそういう人達でなければ、俳句や和歌の研鑽を続けながら生活を続けられません。ところが一つ方法があります。それは支持者がいる場合です。華道や茶道をみればわかるとおり、支持者やファンがいればもしくは習い事として人がやってくれば、これで生計がたつことがあります。もちろん容易ではありませんが。
本当は基礎科学者の一部にはそういう支持者によって生計をたてるひとたちがいてもおかしくないし、実際に米英では巨額な寄付金を提供する人達や沢山の人達が寄付して成立している慈善財団の基金で給料から研究費まで面倒を見てもらっている人達が沢山おります。
しかし、わたくしはそれが日本にとって見習うべき唯一の方法とはおもいませんし、取りあえず、現状の日本は国民の血税で基礎科学者は生計をたて、研究環境、研究費をえているわけです。つまり、国民がわれわれの支持者なのです。
それで、どう科学の成果を国民に還元すればいいのか。いつも考えることです。
わたくしの研究はものすごく役に立ちます。すごく即効性のあるかたちで役に立ちます、と断言できる研究者ももちろんいるでしょうが、支持者である国民に胸を張ってすぐ直ちに役にたちます、といえる人は多くないはずです。というか非常に少ないはずです。基礎科学者が特許を取ったと言っても、ほんとにお金になるような特許はごくごく少ないようです。
こら、柳田おまえの研究は金食い虫で、お金は湯水のように出るのに、いったいどういう成果があがったのだ、わたしにちゃんと分かるように説明しろとか、納税者がわたくしの前に現れて詰問されたら、正直わたくしは困ります。返事のしようがありません。
もうちょっと、待ってください、そうすればあなたにもはっきり分かるようにしますとか、なんとか言ってそれをなんども繰り返しているうちにこの世から消えてしまう、そんな末路はいやですが、いっぽうでNatureにこんなに論文出したんだし、世界のあちこちから今でも招待講演の依頼があるんですから、勘弁してくださいよ、などと言うのは一番おぞましいことです。すみません、申し訳ありません、と返事をせざるをえないのでしょうか。もちろんいわゆる市民講演会的なスタイルでわたくしの研究のはなしをして納得してもらうというワザはそれなりに身に付いてますがでも本当はそれがむなしいと感じるときがあるのです。なぜなら、それで本当に支持してもらっという実感がないのです。
研究は面白ければそれでいいなどと、研究者相手にはうそぶいて言ってますが、血税を払う納税者に正面切ってそのような返事ですませられるとは思えません。研究者仲間での評価によって、いちおう研究費をもらうしくみの中で、正当なプロセスで給与、研究費をもらってるのですなどと、返事してもなんの説得力も納税者の詰問にはないでしょう。
まあそういうわけで、わたくしが学術会議にいってしばし、いろいろの人々の話を聞くのもそんなことを考えるうえでの参考になることを探しているのです。
しかし、きょうはそんなことを頭の片隅で考え続けていても、結局、国民という支持者を納得させる上で、なにも参考になるようなものは得られませんでした。これという明確な収穫もなしに、帰路に向かっているわけです。でも、まあそういう反省の時間をもつのはわたくしにとって大変精神的にいいような気はしています。
雑ぱくなはなしにここまで付き合っていただいてすみませんでした。