退屈な地方選挙、旧老人

このあいだの地方選挙わたくしにはとても退屈、つまらないものでした。
わたくしの住む大津市の市会議員はたしか45人で55人が候補になってどの候補者も名前を連呼してやかましいことでした。人口が35万人ですから、議員ひとりあたりの人口が8千人弱ですか。地域の利益代表を出そうと躍起になってるところもあるのでしょうが、わたくしには馬鹿馬鹿しくて選挙公報もちょっと読んでやめました。この55人のうちのひとりを選ぶことができないのです。どれも面白くないことがかいてあります。たぶん市議会では意見の対立もあまりなく、予算の配分や、地元住民の意見をつなぐだけなのでしょう。
でもほんとうは、地方議会こそがいろんな政治思想が、というか本来は生きる原理の違いの主張がぶつかるところでもあるのでしょう。45番目に入ればいいのですから、いろんな少数の主張も支持者があるのかもしれません。国政レベルではとうてい当選不可能な候補者も市会なら当選可能かもしれません。それこそ、「極」の冠のつく政治思想も真面目に主張すれば市会なら当選可能かもしれません。市会議員の報酬はどれくらいか知りませんが、正業を持って市会議員でもあり続けられたら、いろんな人達が市会議員になれるのですが。しかし、いまの日本国民は政治のおしゃべりが嫌いな人がおおいですから、たぶんそういう風にはならないでしょうが。わたくしも、25才の時に、政治的なことで、実践は決して生涯しないと心に決めてから、そのことは守ってきてますが、政治のおしゃべりというか、議論は好きですし、そちらの方は封印はしてませんので、ある年齢までは、政治の議論で熱くなってきて、激しい言い合いをしたことは特に外国人とはよくありました。わたくしの場合、どの国の人とも政治議論を闘わせることが可能です。しかし最近はありません。懐かしい記憶です。

日野原重明さんが、75才以上の人を新老人と呼ぶことを提唱しています。いまの65才を老人とよぶのはおかしい、同感です。平均年齢が65だか、68才だかの頃に65才を老人と呼ぶと決めたのだそうです。体が弱い65才の人は、老人ではなく、病気の65才とみなすべきとか、新聞に書いてありました。たしかに65才老人が老化して体が弱いというのはまったくの偽りでしょう。80才のMさんは比良の麓で会う人達の中でも野外での長時間労働にもっとも平気なひとのひとりです。
老人の特徴は、体の部品の不良率が年々上がってきているので、他の部品はかなり良好なのに、たった一つの部品の故障で命を落とすか、それに近い状況になる人達のことです。
生き物には命をささえている部品が多いですから、しかたないのでしょう。六本木の森ビルのエレベーターの命綱の摩耗の速さに比べて、人間のからだの部品の優れた性質はたいしたものです。ただ、60年も、70年も使い続けているとなにか不都合がおきてもおかしくないものです。いわゆるだんだん摩耗して老化というか、消失するような毛とか肌とか毎日どんどん沢山が消えてなくなる脳細胞と違って、命を落とすような不都合は、つもりつもって、一挙にでてくるようなものでしょう。徐々に進行する老化は好もしいものです。ぼけ味がでたり、なんともいえない味がでるものです。わたくしの父親も脳出血で倒れて、生き返ってからは、なんともいえないぼけ味がでて、ほとけさまのような顔つきになりました。
わたくしは、66才ですから、現状では、れっきとした老人なりますが、別にそう呼ばれてもかまいません。ただ、新老人が通る名前になるのなら、とりあえず旧老人としていただきます。

まもなく娘夫婦一家が来て賑やかになるのでしょうから、それまでにもうひと仕事をすませたいので、ここらでやめておきます。

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