きょうは7月並の陽気とか、外を歩くと汗ばみます。靴もぬいでサンダル履きの生活をしたくなります。ちょっとまだ早いのでしょうが。
N君の論文、もっと早くとおもっていたのにやっとこラフなドラフトが出来ました。タイトルの選定、要旨の推敲、イントロダクションなどはどうしても孤独な作業になってしまいます。孤独になるとやはりスピードもにぶり、遅れ気味になりがちです。
つまりN君とはこのようなセクションになるとほとんど会話が成立しないのですね。しかたないとおもいます。学生の時は、データをまとめるにに精一杯でしょうから。議論のレベルでいろいろポイントをついたり、現場の人間でなければ言えない問題点をだしてくれたら、学生としては最高クラスなのですが、それも要求すれば高望みなのでしょう。
わたくしはしばしば誰にでも言うのですが、ラボに入ってくるときに真っ白な紙の状態できてくれたら、かなり上質な院生です。たいていは余計な知識や誤ったドグマなどを持っていますので、それらをまず消さなければいけないのですが、偏差値青年ほどそれに抵抗するので、昨今の教育は難しいです。インドから来ているR君やかつてシンガポールから来ていたC君なんかは、基礎研究がなんであるかまったく白紙であったので、とてもやりやすい人達でした。というか、本人たちもそのあたりは自覚してというか指導者と自分のあいだの大きな差を認識して、身をゆだねるというのか、100%言うことを聞くそのあたりが日本の偏差値青年とは著しいちがいです。
おとといも昼飯時に、自分にとって研究上で一番大切な人(達)は誰か良く認識している人はかなり少ない、という話題がありました。
安倍首相の靖国神社とのかかわりは中途半端で、危険な感があります。
大祭の時に奉納したとのこと、こういうことを説明をいっさいしないでやってるのは、一種の火遊びのようにおもえます。この問題について、隣国などはガソリン気化状態なので、熟慮のうえの行動だとしたら、あえて奉納をせざるをえない理由を、日本国民や隣国に説明すべきです。いまでも靖国に首相としていつでも参拝にいく気でいるのだったら、おどろきます。わたくしは、首相の任期中は参拝しないでトラブルをひきおこさない、と態度で示したと思うのですが。そのあたりは国際的なつきあいの前提でしょう。もちろんトラブルが起きるのを必至でいってしまうという選択肢はあるのでしょうが。
こんかいのなんというのでしょうか、内閣総理大臣名での奉納でしょうか、これが参拝よりはるかに軽度の関わり方と思うのは、こちらの一方的なかんがえでしょう。私人とかなんとか言っても、日本国内はよくても隣国は違うので、それを無視するのではいつまでたってもこういう問題がくすぶって損するのは日本だけだとおもいます。
どうも従軍慰安婦問題についても、安倍首相は戦後処理について、切れ味がよくない危ないなとおもいます。やらないのなら、やらない、やるのならやる、びしっとして欲しいと、正直おもいます。