朝研究ユニットに寄って、技術員のT君の結果を聞きました。たいへんな進歩です。彼の日本語もずいぶん進歩しましたが、それを凌駕するものです。
もちろんまだまだ入口のデータですが、しかしよくぞここまで彼は来たと思いました。本人の能力と努力もありますが、周囲の暖かい支援もあったでしょう。
昼前からの主任研究員会議にいきました。将来の大学院敷地になるところまで車で相当距離があります。それで、話しが終わらなかった、T君の車に乗せてもらいました。道中仕事の話しを続けました。
会議のほうは出席者の過半数が外国人になり、文句なし国際性は強く出ていました。
会議の最後の頃になって、外国人が住むのにいかにいろいろな難問があるかということが話題になりました。その一つの例で、VISAカードを作るのがきわめて困難ということで他の外国人もうなずいてましたが、もう日本にながくいる別のひとりが決してそんなことはない、教えてあげますよ、ということで一件落着。なるほど会社を選ばないと、外国人はVISAカードすら容易に作れないということが分かったりします。
これだけ大勢が外国人ですから、それぞれがいろんな問題を抱えているようです。しかし、ひとつずつ問題をクリアしていけばそのうち問題は消えていくはずです。外国人が日本語を覚える可能性と、日本人が英語を駆使できるようになる可能性とどちらが高いのだろうかなどと考えていました。
きょうはこれからまだ、もうすこしみなさんと話し合いをする必要があります。
京都のほうでは、投稿していたK君の論文のレビューが戻ってきました。彼の意見では、レビューアーのコメントは「妥当で、予期していた指摘が多い」とのことでした。
きのうの続きをすこし書いておきたいのです。要するにまたまた京大本部の方から、引っ越し先について新たなところが提示されたということなのでした。今回はそこへ行くのが命令とはまだ聞いていません。
あろうことか、このあいだまで、一刻も早く生命科学のTさんの研究室に退去を命じていたところなのでした。それでT研究室が、もうすぐ退去するのですが、その後にあんたらは、いけ、こういうことです。その理由はまた後に書きます。なぜなのか、わたくしにはほぼスキャンダルとしかいえないような理由です。
この呆れるほどの、本部の一貫性のなさにいったいどうしてこうもわたくしたちが振り回されるのか、こういうことです。
詳しく書かないと十分には分かってもらえないとおもうので、きょうは時間がないので、まずそのはしりとしてどんな風な説明をわれわれが受けていたかを以下に書いておきましょう。
去年の暮れに、われわれのいる建物に国から耐震の工事費がついたので、退去してほしいとの連絡がありました。これは、しかたのないことです。ですから、はいわかりました、指示された所へ引っ越します、こういう返事をわたくしはしました。
本部では、わたくしたちが退去したら、経済学部と経済研究所の人達が代わりに来るというのでした。文系ゾーンになるのでそれはそれで結構なこととおもいました。
しばらくして、お隣の建物に引っ越しなさいという連絡がありました。非常に狭くなるのですが、他にないのであれば、しかたありません。
定年にかけて5年間で20億円ていどの研究費のリーダーをしてましたので、いろいろな先端機器があるのですが、若い人達の血のにじむような努力で、その移転スペースにどうしても必要なものを入れる算段をしました。
それが先月でしたか、ガラッと状況が変わりました。われわれの現在いる建物が耐震工事後はなんとレンタルラボになるというのです。賃貸して貸すラボのことです。
それはずいぶんまた話しが違うとおもいましたが、文句を言える筋合いではありません。ありがたいことに、その一角にラボを持ってもいいというお達しが、理事、施設部長、全課長の見学のあとにありました。
それで、引っ越しを半年の間に2回して、来年春には元へ戻る、ただ今の一部を使わせてもらう、ということでした。
またまた研究室のメンバーが必死になって、計画を立て直しました。われわれの研究は国際的な競争が激しい分野ですので、一日だって研究を止めることが出来るはずがありません。自分でいうのなもなんですが、本当に先端的な研究をしているわれわれにとって、この間のできごとは本当につらいことです。移転先や経費のこともあり、もっとも主要な研究機器が半年以上も使えなくなるという深刻なダメージも予想されます。しかし、泣き言はいわないと、決めていました。
それが、こんどは新たな理由で、別な場所へいけ、というのです。その理由を聞いてわたくしは本当に怒りました。どこまで、京大本部はわれわれを馬鹿にしようとするのか、このあいだの理事と施設部長の訪問はあれはいったいなんだったのだ、ということもあります。
この続きはまたあとで書きます。