柑橘類の木々、過疎にすむ人達は、ラボ移転のこれから

5月の週末は一年でいちばん忙しいときです。ことしは、あたらしい耕地が出来たのでまた一段と忙しいはずなのですが、気持的には畑が広くなりすぎて気持が集中できなくて、まあいいか、とおもうことがなんどもあって、結局気分的にはそれほど昨年と変わらない感じです。ただ、一人ではできないことがあって、妻の助けを借りることがなんどかありました。
ことしはサクランボはしっかり食べられました。小粒ですが、おいしい。イチゴもそこそこ、ナメクジに食べられてるくらいで、それ以外の動物鳥類による被害はありません。
この比良のほうには柑橘類を6本植えてるのですが、ブンタンは毎年かならずたくさん食べられるようになりましたが、去年はじめて夏みかんが数個、それに柚子が少々何回か食べられました。ことしは伊予柑に沢山花が咲いているのですが、食べられるでしょうか。他に二本、気がつくといつもアゲハの幼虫に葉をぜんぶ食べられてしまった、7,8年経つのにいまだに幼木みたいのがあるのですが、これらがなんの木であるかは忘れました。桃栗3年柿8年とは誰でも知ってますが、柑橘類は最低10年はかかるとか、ききます。だから果実が沢山なるのは家庭が円満の証拠なのだそうです。
伊予柑は好きなので、もぎたてのをいつの日か食べてみたいと思います。

これから日本はどうなる、しばらく書きませんでした。
地方というよりは過疎地にすむ人達はいまは老人が多く、弱者ということになっています。実際、過疎地で経済的に価値あるものを生みだすのは難しい。若い人達が過疎地に入って行くケースがありますが、彼等の多くは自然豊かな環境で住みたいというのを一義的に考え、生きていくのに最低限の金銭があれば十分だと思うようです。こういう人達も最近は増えてるようです。しかし、そのひとたちの数はいま過疎地に住む人達の総数に比べればずっとすくないでしょう。
これからの日本、過疎地に違ったタイプの人達が目をつけるのではないかと、思うことがあります。どういう人達かというと、ネット環境があればどこででも仕事ができる人達です。オフィスというか職場に週のうち一日か二日いればあとはどこででも仕事ができ収入もちゃんとある人達、が過疎地の自然と文化・伝統に目をつかないか、と希望的に思ったりします。知的な職業の人達がおおいので、自然環境に負けずに、快適な生活を行う能力を有するのではないか、などと考えたりします。過疎地を、なにかを生みだす場として考えるのなら、やはり知的産物がもっとも価値が高いはずです。
わたくしのこの比良の週末の場所は過疎ではないのですが、でも周りにはほとんど家がない環境で、そのような中でこそ生みだされれうるいろんなものがあります。わたくしは、週末をここで過ごしていますが、これからはウイークデイの半分を過ごす場所を探す、経済強者が相当数存在する時代がやってくるのではないか、などと考えたりします。

さて、最後ですが、ラボ移転問題です。
きのう書いたブログですが、さすがにラボ内で少数ながら強い反響があったようで、あの場では遠慮していましたが、心では、徹底的にたたかいたい、といってきた人達がいました。特にラボでは、わたくしがワールドプレミアにどのような研究申請が京大から出るか、憶測をまじえていいましたので、その部分での怒りがよく理解されたようでした。頼もしいことです。
わたくしとしては、前回施設部長と視察にきてこの9号館はレンタルラボになると断言された、理事副学長になぜ新しい展開がわれわれになんの説明もなく起きたのか、事情を聞きたいと思っています。
また、Tさんはの研究室はいかなることになるのか、彼にもぜひはなしをしたいと思っています。
それから、京大本部で決定権をもつている、どの連中がこのようなひどい仕打ちをわれわれにしようとするのか、わかるものならぜひわかりたいと思います。
わたくしの、怒りの原因の大半は、この本部にいる決定権を握っている連中の礼儀知らずにあるのですが、しかしワールドプレミア申請の研究内容をみるまではわたくしには真相はわかりません。文部科学省は、ワールドプレミアム研究申請が大学でおこしていいるひずみがいろいろありうるとは思っているでしょうが、京大の場合はこのような非人間的な現象です。
そして、申請研究内容をみればさらに驚くべきことがわかってくるかもしれません。

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