はっきりしないながらも雨は降らない午前を利用して、比良に出かけてトマトやナスの支柱をつくりました。妻とふたりなのでやはり早い。運良く作業が終わった直後から土砂降りの雨でした。
出かける前にすませたい書類の仕事も午後にやってこれで出かけるモードになれました。スーツケースのほうも朝ほとんどパックしましたから。衣類の選択がメインなことですが。
夕方になって、デンマークのオーガナイザーからメールがあって、わたくしが座長をするセッションのひとりの講演者がパスポートの書き換えをしていないことに気がついて出発できないとのこと。交代の候補者についての承諾をもとめるメールがありました。オーガナイザーのNさんはすごくきちんとしているな、と感心。他にもやることが沢山あるはずなのに。
わたくしだったら、とちょっと反省しつつ考えてしまいました。だいたいこういうことが起きるのは米国在住の人達がほとんどのケースです。いままでになんども経験がありますが、すべて米国からの出発のケースでした。そういえば、有名な米国の大先生も成田でビザがないのに気がついて、さすがノーベル賞の威力で東京から本人であるとの証明をする人達が駆けつけて、ビザなしで入国したこともありました。
日本にはいくつの学会誌があるでしょうか。すくなくとも500の学会誌があることを最近しりました。実際にはその数倍、10倍くらいあるかもしれません。多くは日本語で出版されてるのですが、こういうものを電子的にアーカイブ化(記録保存)して、ネットで誰でもアクセスできるようにしようという行政的な動きがあります。たいへん、よいことだとわたくしは思います。紙のままにしていれば、散逸の可能性もあるし、そもそもボロボロになりやすいのです。古い学会誌などは。
たとえば、日本獣医師会雑誌という学会誌があります。日本語で出版されていますが、学会のホームページにアクセスすると、学会誌が誰でも読めるようになっていますが、でも7,8年くらい前の雑誌しか読めません。さすがに獣医師学会ですから歴史があるので、60年くらいの期間学会誌が出版されています。これを一号から電子図書館の蔵書化してしまえばだれでもいつでもアクセスできて、創刊号から読むことができます。いちど電子化してしまうところが割合経費がかかるので、順次やっていくことになるのでしょうが、わたくしは国民的な知的財産として、ある程度の価値があるものなら、税金をどんどん投入して電子アーカイブ化することに大賛成です。もちろん日本語のものは日本語でしか読めませんが、それでもちろんいいと思います。戦前や明治のころにさかのぼる雑誌があればぜひ読んで見たいと思う人達もいるでしょう。廃刊になったものになったものにも素晴らしい価値を有するものがあるかもしれません。
日本でなされた学問が生みだしてきた、知識をだれでもがいつでもアクセスできるのはとても素晴らしいことです。近代日本における知識の変遷を知るのが、近代日本の歴史をしる格好の材料であることはいうまでもありません。ですから、学会誌の価値は文系も理系もおなじような価値があるでしょう。
もちろん今出版されている学会誌にも希少的な価値があり、数百部しか出版されてないものにも、電子化されたら、非常に多くの人が見て価値を見いだすかもしれません。
わたくしも雑誌リストを見ているうちに、たとえばきわめて珍しい動物や植物を調べる学会の雑誌などは読んでみたくなりました。