李登輝氏のひとつひとつの発言、日本人にとっては胸のすくような気分になるものでしょう。かれが人気取りにいってるのでなく、本心からいってることを理解すべきなのでしょう。台湾が中国に攻められたら、日本はいったいどこまで台湾のひとびとを支援する行動ができるか、問われていると思います。
氏がしたいろいろの発言のなかで、特に印象強かったのは、お父さんがお兄さんの戦死を最後まで認めなかったので、墓も何もなく、供養もできなかった。それを靖国神社がかわりにやってくれたので、感謝している、というものでした。だから参拝するのだ、というものです。お兄さんは日本人として戦死したのでした。氏も22才まで日本人だったのです。日本人は、李登輝氏の発言を軽い気持で聞いてはいけないのでしょう。心からの申し訳なさ、特に台湾の戦死者の父母に対しては持たねばならない、と思うのです。日本人をまったく責めない、氏の思いやりのふかさを感謝の念で、素直に受け止めるべきなのだと思います。氏のような人物が戦後の日本を肯定的に発言してくれることをわたくしはとても嬉しくおもいます。
年金問題、自民党と政府にとって恐竜化してきたのではないでしょうか。首相も巻き込んだ、右往左往がひとつひとつ裏目にでているようです。特に、当時の厚生大臣だった菅氏を非難する自民党のビラなどは国民にたいする愚弄以外のなにものでもないので、格段にまずく、一段とモンスター化が進行した感じです。やはり団塊の世代の退職で、年金を生活の根幹と考える人々が非常に増加したのでしょう。一人の団塊世代の人物の退職は、妻、生きていれば老いているであろう親たち、就職氷河期という日本の資本主義社会の悪癖をもろにかぶったその子達、というふうに沢山の人々が影響を受けるのですから、いまのあの「悪相」の幹事長や官房長官ではまったく対応できず、首相の「根源的能力」の評価にひたひたと迫って来ていると思います。今朝、藤井氏とカーチス氏の時事放談を旅行準備の慌ただしい中でみていたら、松岡農相を首相は罷免すべきであった、そのかわりに庇護ばかりしていのは、たいへんまずかったという発言をどちらかの方がしていましたが、結果としてまったくそうなのでしょう。首相は政治倫理観に問題があるのではないか、という批判が説得力をもちだしています。
こんな状況になると、現在の政権はかなり「脆い」と見るのは多くの日本人の意見ではないでしょうか。切る尻尾が無いという状況となってしまいました。問題は、受け皿の民主党がどこまでやれるのか、本当に政権を渡して大丈夫か、そこの吟味に世間の関心が向かうような気がします。
いま、中部国際空港に向かう新幹線車中です。ヘルシンキ行きの便に乗ると、もうブログ投稿は今日中にはできないという予想なので、空港で投稿する予定です。エッジを使った無線でのネット接続でやります。大津の天気はそこそこ良かったのですが、車中で外を見ると、どんどん悪化しています。無事に飛んでくれるといいのですが。しかし、雨の中でも湖東の農村風景は心が安まります。水田以外に色が違って見える麦畑がかなりあることにも気がつきました。
なお結局、投稿は金山からの名鉄線空港行きの電車からにすることにしました。雨がひどくなってきてます。