イチロー選手による野球正史の塗り替え、読売新聞、天声人語

米国でのオールスター戦での鈴木イチロー選手の活躍、わたくしも深い感慨をかんじました。80年の歴史で一度もなかったランニングホームランで三打数三安打を締めくくり、最高殊勲選手になったとのことです。かれはいまや自分の安打を作品というそうです。それを言える資格はもちろん彼にあるのでしょう。いままでとは違う自分がここにいたとも言ったそうです。なるほど、その通りに違いありません。日本のプロ野球の歴史を書く人にとって、イチロー選手が歴史の中核になることはいまや明白なのでしょう。かつては巨人の選手が阪神の選手が日本の球界の中心であったのですが、イチローは単身その歴史を書き換えつつあります。歴史は個人を中心に動くという真理がまた実証されつつある感をうけます。イチロー選手はもう自らを客観的にみてるようですが、われわれ凡百の野球ファンには彼をそこまで客観的にみるにはもうすこしの時間がいるのでしょう。

きょうはまたまたこれから沖縄です。どうしてこういうスケジュールなのか、ついこの間までこれしかないというはずだったのですが、13日の会合がキャンセルになったので、いまやそうは見えません。しかし、出かけていって、みなさんの顔を見て研究の話しを聞くのはとても楽しいことなので、嫌ではまったくありません。ただ、台風が心配。
さっきまで一日分のスケジュールを京都のほうでこなしましたから、このスケジュールは得をしてる感もあります。

しばらく読売新聞を読んでましたが、朝日にもどりました。両紙の印象はいまやあまり変わりありません。よく言われるように、求人広告の内容と人生相談がぜんぜん違うとはいまも正しそうですが、読売のえらいひとが、若い頃の左翼に先祖帰りをしたせいか、誌面のつくりというか政治的なスタンスは両紙はかなり近いような印象です。
天声人語を久しぶりちょっと読みましたが印象が弱い。なんとなく教養のほども付け焼き刃、意見も腰が定まらず何をいってるのか、いいたいのかわからない、そんな感じです。こんな短文を一日に一回書いて高給をはめるとは、記者の頂点に位置すると、ずいぶん楽なもんだな、という感想です。コラム記者も競争させて、読者の満足度で査定するというか、そんな風にしないと、まったくの裸の王様状態の天声人語が今後も続くでしょう。

言いたくありませんが、赤城農相は東大法学部出とか。40代でもう6回も衆議院に当選とか。エリートのはずなのに、今回の発言や出処進退をみると、まったくそうでない。昨今の日本が何度も味わってきた人材への失望の繰り返しです。
諸悪の根源は偏差値による人間の輪切りと区分にあるとおもっています。偏差値輪切りの被害と無縁で生きていけたらまともになれるのですが。しかし、まともな人は社会の上澄みのほうには決してこれない、そういうしくみが日本にできつつあるようです。

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