帰宅まで、台風4号、老将監督

台風の風の影響は朝になってもまだかなり残っていましたが、那覇空港朝10時発の関空便が20分遅れになったのを除けば順調に帰れました。ただ、那覇の空港でかつて見たこともないような沢山の米国人がひとりずつ大きな体を待合室のいすにながながと寝そべっていました。疲れ切って、他人の目というか、日本人の目をきにしている余裕がなさそうでした。たぶん、帰国したくてもできずに空港で一夜を過ごしたのでしょう。お気の毒でした。ただし、そういう日本人はあまりみかけなかったでした。やはり情報が日本人には早く伝わっているのでしょう。

関空に到着したらまたまた阪和線が人身事故とかではるかは運休なので、しかたなく南海の電車で難波経由、地下鉄御堂筋線に乗って、梅田からJRに乗って家にたどり着きました。人いきれというのか、大阪の中心街を通った影響かどっと疲れました。

平素経験しないことを経験すると、思考のほうも平素しないようなことを考えるみたいです。それで、前から漠然と思っていたことがとつぜんなんだか決断できました。決断というか、考えの筋が突然見えてきたので、結論が出せるようになったそういうわけです。いまは書くわけにはいきませんが、やはり人間、色んな状況に自分を置くべきです。そのたびに何かの発見というか、見つかるものがあります。結局、台風4号さまさまなのかもしれません。
帰宅してからメールを開けると、沖縄の研究センターの被害状況(ほとんどなし)などについて詳しい報告がありました。ただ、やはり沢山の木が倒れたり、折れたり、裂けたりしたようです。

老将オシム監督、勝ててよかった、やはり高原、俊輔に感謝、感謝とはいいませんでしたが、でも顔のほうは言っていました。老将といってもわたくしと同じくらいの年齢なのですが。(いまネットで調べたら、わたくしより一ヶ月若い)。
この人は、考えもやりかたもとてもはっきりしているみたいで、わたくしは好感を持ってはいるのです。ただ、神様ジーコにしてもオシム監督にしても日本人のメンタリティーをもっと知ったらもっと成功するし、日本人にも好かれるのにとおもい、歯がゆくなることがあります。誰かが教えてあげるわけにはいかないのか、とおもったりします。
オシム監督にはぜひ野球の野村監督と話してみたら学べるものが沢山あるとおもうのです。ふたりのインテリジェンスがぶつかったらかなり面白いものが出てくるような気がしますが。

この間、京都のほうからいろいろメールがありまして、その対応もせねばならぬし、いよいよ論文の最終段階のもありますので、来週一週間はいそがしくなります。きょうも疲れた頭と体にむち打って、やらねばならぬことがまだまだあります。

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