鶏のなきごえ、新しいそば屋、神戸空港に着陸

あさ、鶏のなきごえで目が覚めました。
耳をすますと、三羽くらいの声のちがいが識別されます。
他にはなんの音も聞こえない静寂です。くりかえし、くりかえし、なきごえを聞いているうちになんともいえない懐かしい気持にひたされてきました。
なきごえが昔聞いた、鶏のなきごえに似ているような(憶えてるはずもないのですが)気分になりました。たぶん、三羽の音の違いがもたらしたのでしょうか。他には何も聞こえない静寂です。部屋の外はまだ暗い。
起きあがって時計をみたら6時前でした。
考えてみたら、むかし練馬の家に住んでいるときに、家で鶏をかっていました。西日が強かったような記憶があるので、家の西側の壁に接して鶏小屋を父親が作ったのでしょうか。わたくしは、わりあい鶏をかわいがって、よく世話をしたような気がします。一羽か二羽かそのあたりの記憶が無いのですが、複数いたのでしょう。まだわたくしが小学校の1年か2年か、そんな頃です。それで、鶏は三歩歩くとみな忘れるとか、そういうことわざはなんとなくリアルに分かります。やはりエサをあげる人間にはなにがしかの親近感をしめしますので、わたくしが鶏をかわいがったのは、そういう独特の親近感を鶏がわたくしに示したのでしょう。
こんかいわたくしが泊まった海中道路の取り付け口のコンドミニアムの隣には昔ながらの家屋と畑があり、鶏はその建物のどこかにいるらしいことが後で分かりました。昔ながらの家の前だけ、舗装道路がありませんで、地道が舗装道路につきだしていたのがユーモラスな光景でした。
鶏の思い出の最後は、ある夕方にわたくしが家に帰ってきてエサをやろうとしたら、鶏がイタチに殺されていた死体を見た場面で終わります。可哀相に、首を食いちぎられていました。鶏を飼っていた記憶がわたくしにとって抑制的なものであることはそういうわけがあるのでしょう。

午前中はユニットの技術員の人達と研究上のことをいろいろしゃべりました。わたくしには大変有意義でした。

昼は新しいそば屋さんで食べました。おいしいが、昼飯カロリーの許容範囲をはるかに超えていました。空港に着いたら、4時の関西でなく、3時の神戸便がまだ間に合うようなので、あたふたと乗ってしまいました。後で機内アナウンスで神戸空港は風が猛烈に吹いているので、伊丹に着くかもしれない、その時はご容赦をということでした。神戸に行くのは初めてなのですが、駄目ならそれはそれでしかたがないどころか、うまくいけば家には早くかえれるでしょうか。
結局、二度トライしてうまいことランディングしました。予定より20分遅れですが、1時間早く予定よりはやく那覇空港を出ていますので、すこし時間的に節約できているかもしれません。このブログ神戸空港から三宮までのポートライナーの電車内で書いてます。空港の簡素というか、田舎的な雰囲気に吃驚しました。神戸なのでもうすこしあか抜けている雰囲気を期待しましたが。

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