きょうから世間でいう盆休みですが、昼過ぎに比良のほうにきました。
今週はずっと来ていません、この間の猛暑に水やりをしなかったので、ある程度の被害は覚悟をしていましたがやはり相当ひどいもので、ここに改めて書くとまたがっかりするので繰り返しませんが、いろいろ駄目になりました。
でも大丈夫なものも沢山ありますから、しかたがないとおもいましょう。
小田実さんがしばらく前になくなりました。なにか書いておきたいなと思っていましたが、機会がなく、けさテレビ番組で元気な時代の小田さんをみたのでなにかかきたくなりました。しかし、休暇がはじまったばかりなので短くしておきます。
わたくしは小田さんの「なんでも見てやろう」を読んで発憤した人間のひとりです。たぶん、20代前半にこの本を読んで、ぜひとも彼のように世界を旅したいと思ったものです。相当な知的インパクトをあの本は当時の若者に与えたとおもいます。
彼の本には、いかに世界を旅するかというハウツー的な価値もあったとおもいます。私見では小田さんがいちばん輝いて、まただれにでも通じる言語を駆使して彼は発信をしていたとおもいます。小田さんがそのようなスタイルで人生を進めなかったのは彼に責任があるのでなく、日本における「左翼」の不幸な現実があったとおもいます。
つまり、彼のようなひとこそが共産党とか社会党の指導者になればよかったのに、とおもいます。
しかし、かれは左翼的ではあってもなにが彼をつきうごかしているのか、社会体制との関わりはわたくしにはよく分かりませんでした。はっきりしていたことは反体制だったのでしょうか。でも反体制では行き着く場所がなかったのでしょう。特に日本では。
彼が作家になって、べ平連ですかそういう組織の名前がついたものと結びつくようになってからは彼はすべての日本人にむけて発信することができなくなったようです。
神戸の大震災の時に小田さんの発言を何度か読みましたが、人の心にはせまれても、体制を動かすようなものにはなりえませんでした。開高健さんが彼の書いたエッセーや小説で記憶されるようになっていますが、小田さんはなにで記憶されていくのでしょうか。わたくしには圧倒的に、なんでも見てやろうでしたが、いまもう一度あの本を読んでみたいとはおもいません。
テレビ画面でみた小田さんはとても元気そうでしたが、ひとつひとつの発言はもうしわけありませんが、わたくしにはインパクトはほとんどありませんでした。
20代前半のときには小田さんのようなひとことが社会の、そして国のリーダーになって欲しいと真面目に思ったような記憶があるのですが、30才以降わたくしが彼のいうとおりになんでも見てやろうを実践して世界一周して帰国してからは、感覚的に非常に疎遠な感じになってしまったのです。その感はいまでもずっと続いています。