今朝も5時に起きて、N君の論文をみて、メールで関係者に送りました。これで一区切りです。よく見ると、N君以外の三人の主要関係者もみなN君のことに気がつきました。もうここまでくれば論文投稿までそうは時間がかからないでしょう。
毎日ながめている蓬莱の山にいってきました。ゴンドラというのか、標高千メートルを一気に上昇してくれるので、涼しい一日を過ごせました。孫たちはやはり山歩きよりも水遊びで、途中にあった小さな川での遊びに熱中していました。大人三人は下界の異常なほどの熱気もしらずにのんびり一日を過ごせました。群馬のどこかでは40度とかいうニュースを後で見ました。
終戦の日です。あえて敗戦の日ときょうは言ってみたいです。
つまり、敗戦と国が認めるのが遅すぎたのです。そのために無辜の死者が膨大にでました。沖縄に米軍が上陸する前に日本が降伏していれば、沖縄の人達の今日の苦しみもなかったでしょう。もちろん広島も長崎の原爆投下もありません。日本にとっての世界大戦ののイメージもまったく違ったかたちで後世に伝わったでしょう。米国とのトラウマ的な関係もずっとましだったはずだし、そもそも核が使われなかったのならそれは人類にとってもよかったに違いありません。
さらに前の東京大空襲の前にでも、降伏すれば一段と様子は違っていたかもしれません。
なぜ敗戦が最後の最後まで認められなかったのか、いろんな説があることはしっていますが、それらを一つずつ取り上げていく気力はわたくしにはありませんが、敗戦をもっと前になぜ認められなかったのか、その悪い気質はいまも国の背骨のなかに残っていないか、そんなことをよく考えます。
女性天皇の道がほとんど開けたのに、それを事実上閉ざしてしまったけれども、それは敗戦をいつまでも認めようとしなかった気質と相通ずるものはないだろうか。
それにいまの首相のような国際感覚のきわめて乏しい政治家を国家がいつのまにやら首相にしてしまう仕組みは戦前からの進歩が感じられません。
いさぎよく敗戦を認め国家として捲土重来をきす、なぜそれが出来なかったかを考える方が、もう戦争は二度としません、よりずっとましな考えに違いないのです。
でも、米国を始めとする連合国に民族全体を殺戮されるという恐怖にさらされて、戦争は二度としません、という感情がまず最初にくる国情となりました。
その点、連合国の作戦は62年後にも成功しています。
わたくしは、負けの時は、負けとはっきり言える指導者を育てることが国として非常に大切と考えています。戦争のほうはこちらがどんなにいいやでも向こうがする気があれば巻き込まれますから。