久しぶりにラボにでました。さっそくいろいろ対応することがありました。
お盆休みなどとは無関係に進むものは進む、あたりまえですが、そういうものでしょう。植物が熟するように、時がたつと後戻りできない出来事がいろいろおきるわけです。わたくしも、後戻りはなるべくしないような、後に悔いを残さないような、そういう方針で来ていますが、稀には後戻りした方がこの場合はいいのかな、などとおもうことがあります。しかし、たいていは後戻りよりは、前を見た方がいいのが研究室経営のポイントでしょうか。
しかし暑いことです。またどこかの町が40度とか。そういう記事はくわしく読まないようにしています。京都も暑さではどこの町にも負けないでしょう。ラボのある三階廊下は直射日光で歩くとクラッとするくらい暑いです。
きょう書いてみたかったことは、日本人は日本語によって守られているということです。
日本での職はまともな給料をもらおうとしたら、ほとんどは日本語をしゃべれることが前提です。わたくしが所属する沖縄の機構などは例外です。
おおかたの日本人の安心感の相当多くは外国人が将来沢山入ってきても日本語はしゃべれないだろうから、まずたいていの職は外国人に奪われることはないだろう、という考えにもとづくはずです。
日本語が英語国民やや中国語国民に簡単におぼえられたら、そして移民がどんどんはいってきたら、日本の多くの人達はパニックになるでしょう。
英国あたりで起きている現象は、その状態に近いのです。英語はやさしくないかもしれないがだれでもが子供の頃から学んでいる国の人たちの流入によって色々なものが奪われています。医師なども外国から来た人達の多くによって担われています。多くの魅力的な英国の町の家や土地が外国人によって買われて、英国人は自国に住めなくなってフランスに家と土地を買い、そこから通勤するとか嘘のようなほんとの話しがあります。
そういう点、日本人の最後の砦は日本語かもしれません。一方で、日本人が海外で職を得にくいのも外国語がそうじて下手だからですが、日本語が守りの側の砦になっていることと裏腹の関係なのでしょう。
改革、改革となにかの一つ覚えみたいにいうひとたちが国会や政府におおいですが、よもやこの日本語にメスを入れようとするとは思えません。でも、この日本語で守られている限り、日本人の安心感が変わるとも思えません。つまり真の意味でのグローバル化もなかなか起きるはずがないのです。
日本語を革命的に易しく覚えられる方法を工夫するひとがでてこないでしょうか。
日本のグローバル化にいちばん貢献できるでしょう。