研究の萌芽状態

日本列島が激しく暑いので、天気予報がはずれても文句をいう気力もないし、そもそもあたりはずれについての注意力が下がっているような気がします。いまのところ水道から水が元気に放出しているので水やりの水に困る事態ではありません。
今朝は3時頃にいっぺん目が覚めてしばらく書類などを作っていましたが、さすがに早過ぎて、もういちど明け方に眠って調製しました。幼児達のエネルギーに負けて、夜は早く寝たくなるような気がします。

とはいえN君の論文原稿もいい区切りだし、来週中に他の原稿も2つ切れ目になります。それでとうとうAさんの論文書きの状況になりました。夏はわたくしはアリになる時期です。毎年こんな感じでした。

政治も経済もなんだか激しい出来事が起きているようですが、話題にしないで、研究の萌芽状態について、ちょっとひと言。
自分でいうのもなんですが、研究の萌芽状態の発見ならわたくしにまかせてください、と自分ではおもっています。なにか第六感でわかるのです。いままでに何度も何度も同じような体験をしていますから、その状況になれば分かるのです。言わせてもらうと、40台の頃から、あらたに自分が触るものはみんな金になる、とかいってラボの若い衆を白けさせたことが多かったものです。
そんな自慢話はやめて、萌芽状態の発見には、そのための準備段階というか、準備的な状況が必要です。
平素見ていたデータというか実験結果を、ゆっくり時間をかけて吟味することが必要です。
たとえでいうと、平素見慣れてるものを、スローモーション画像で何度も見るようなことです。極端におそいスローモーションでも、局部的なスローモーションでもいいのです。でも、ただぼんやり見ていては駄目で、これまでの見方とは違ってみたら、なにか違うものが「見えるはず」、この「見えるはず」の感覚が大切です。
そうすると、見えてくるのです。まさに萌芽が。もちろんそれが萌芽であるかどうか、自問自答が必要です。その時に、おとなしく自問自答的な会話を聞いてくれる、相手がいてもいいのです。でも、かんがえを乱すようなことを相手が言うようだったら、自問自答のほうがずっとましです。これも長年の経験で、萌芽状態の発見にうまくつきあってくれる会話相手は前もってわかります。
なんどもスローモーションを繰り返すうちに、萌芽状態を簡潔に形容する、ことばが生まれます。というか、生まれてこなければ、この作業はとりあえず終わりです。
そのことばが新しければ、かつて誰もいったり、考えたりしたことがないのであれば、間違いなくなにかの萌芽状態をつかんだはずです。
萌芽状態の証拠は、新しい言葉です。概念と言ってもいいのですが、萌芽なので、概念まではいってなくて、言葉としたほうが適当かとおもいます。
萌芽があるかどうか、結局あらたな実験で実証的に示さなければなりません。結局ここまでがセットになって、はじめて萌芽が確立してくるのです。
自分の研究分野そのものか、その近くなら、誰の話でも注意深く聞いていたら、萌芽があるかどうかは瞬時にわかることが多いです。もちろん分からない場合もありますが、しゃべってる人間が無意識になってるとこちらも気がつかないものです。ですから、対話が必要なのです。対話ですから、二人でやるのがいちばんいいのです。
対話のあとで、ここちよい知的興奮のあとで、何日かあとで、まったく新しいかんがえが生まれたりするものです。
対話なき優れた科学はありえないとおもいます。でも、この対話のなかに自問自答もいれるべきなのです。

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