寂しい安倍首相と日本国民、論文のお話し性

わたくしも一日中床屋政談をやったり考えたりしているわけではまったくないのですが、さすがにこの安倍首相の「やーめた」宣言にはちょっと時間を取られました。
長男が昨日の夜に電話して妻としばらく話をしてましたが、その後わたくしとちょっと、ということで話をしたら、昨日のブログにわたくしが床屋政談の相手がないというのを見て、子供の一人としてなにか感じたらしくて相手をしてくれました。首相自身にお金などのなにかスキャンダルがあるかのような週刊誌記事がでるらしいし、健康問題もありきょうは慶応病院に入ってしまったので、さらに周辺がここのところずっとおかゆと点滴でやってきたと、まるでつじつま合わせのように、お話しができてきましたが、わたくしにはすべて空々しく感じました。
安倍首相、自分がむなしくさびしいとおもっているはずです。サラリーマン続けてれば良かったなどと、思ってるかもしれません。余計なはなしですが。
しかし、いちばん寂しいのは日本国民でしょう。こんなボンボンであべこべに向いた首相を国のトップとしていただいていたのです。特に最初の頃はかっこよく見えたので、国民のさびしはひとしおじゃないですか。日本の指導者層がうみだしたはずの人材はこんなものだったのか、ということです。寂しくてつらいのは、首相はとうぜんとして日本の国民だということは、次の自民党総裁選びの過程に考慮されるのでしょうか。たぶんまったくされないでしょう。

ボンボン系の候補が麻生、福田、谷垣氏で、係累なしの立身出世型が舛添、小池氏なのだそうですが、わたくしにはどの人たちもみな危ない、国のトップになるとつぶれる可能性が高い、とおもいます。
だれも指摘しませんが、安倍首相、ほんとうは小渕元首相とおなじような目にあうのが怖かったのではないでしょうか。おもいだしてください、小渕さんは小沢代表に会った直後に、死の病につきました。
小沢代表と会談できないのを辞める理由にしましたが、本当はどうなのでしょう。小渕元首相のことが思いだされて、会談することに、恐怖に駆られたという可能性もあります。本人しか分からない可能性ですが。
慶応病院に入院とか。昔からえらい人を嘘の理由で入院させる東京では名だたる病院です。神経のブレークダウンみたいなことが首相に起きたのではないでしょうか。

論文のひとつ、非常に苦労したのが最終的に今朝アクセプトされて、ホッとしました。これは11月号にでるそうなので、最後はわりあい早く扱われました。ちょっとだけですが、いい気分です。もちろん実験を延々としてきた本人が一番安心したでしょう。
しかし、次々に後が控えているので、わたくしは本当にたいへんです。

投稿中の残り2つのほうの、ひとつも昨日返事があって、どうもこの論文には中途半端なお話しがふたつあって、それがよろしくないという意見でした。たしかに、そうかもしれないが、どうも承服しがたい感も相当あります。いまの生命科学というか、生物学はお話し全盛時代で、その論文のお話しはなになの、というのが論文に対する最初のレスポンスです。わたくしもそういう態度はとりがちです。しかし、それだけが、判断の基準では、学問の豊かさはでません。

すべての研究に完結したお話し性を要求されると、困ってしまう人達は沢山いるはずです。論文のなかにキラリと光るデータがあったときに、その新奇性を重視して、お話し性が低くても、通してくれるジャーナルもないといけないと思うのです。この論文はかなりキラリと光るデータが2つも3つもあるのだから、お話しの首尾一貫性は低くても、もうすこし認めてくれてもいいじゃないか、とわたくしはかなり不満なのですが、しかし泣く子とレビューアーには決して勝てませんので、対策を考えねばなりません。
特にこの論文は米国の有名ラボが違う生物でほぼ同じ結果をだして、それがまもなく公表されるとか言う噂があって、結構焦っていたので、対策ものんびりはできません。お話し性とキラリ光るデータの重要性は、わたくしにはほぼ同等価値なのですが。
米国や英国にあるハイプロファイルジャーナルというのは、圧倒的にお話し重視なので、そういうところは避けたところにだしたのですが、やはりここもお話しがなければ穢らわしい、というようです。

研究はやってる途中はほんとうに楽しいのですが、発表段階になると、いろんな煩悩的なことが生じてきて、たのしみより苦しみが多い、というのが正直なところです。

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