昨日朝、ホテルを出て散歩したら、5分もしないうちにホルメンコーレンのジャンプ台がありました。最初はコンクリートの建物に五輪のマークがあったので、なんの建物かと歩いていったら、巨大なジャンプ台が森の隙間から見えてきました。そばまで行くと、首が痛くなるくらいの角度に朝の霧のなかに消えそうな高いてっぺんがあってそこから首を回して目の前のコンクリートの部分から下を見ると急峻なスロープでランディングゾーンとそれを囲む観客席がありました。一番下は大きな池になっていました。のどかな森というかそんなところに突然現れた崖を人工的にどんどん大きくしたのでしょう。あとで博物館に行くと、100年前に、こののどかなところで、この一カ所の崖をそのまま利用して冬期にジャンプが始まったとあります。その時の記録が20メートルとありました。それがいまのバッケン(ノルウエー語でジャンプ場とか)レコードが136メートルとか。たとえていうと、誰かが物好きではじめたことがだんだん勇気試しみたいになって、どんどんエスカレートして、言葉は悪いですが、狂ったような勇気を試す場所になって、ここまで大きなジャンプ台を作ってしまったというのが自然なあるべき感想でしょう。オーストリアのインスブルックでもジャンプ台がありますが、周りが高山なので、なんとなく風景にマッチしていました。しかし、このホルメンコーレンのジャンプ場はまわりに高山がないので、発祥の歴史を知りたくなり、その結果、ノルウエー人の途方もない勇気を感じさせます。
そういえば、わたくしがノルウエーを旅行したのが、27才の時でした。コンチキ号というこれも蛮勇としかいいようのない、簡素ないかだで南太平洋をわたる航海物語に感動してどうしてもそのいかだを見たかったのでした。あの頃のわたくしは、ヘルマンブールとかやったら死んでしまうような勇気物語をよむのが好きでした。コンチキ号のいかだ、いまも見れますが、その後いっていません。最初の感動を越えられないと思っていますので。
スキー博物館にあった最近の冒険家のビデオはちょっとすごすぎて正視に耐えられない部分がありました。
昼過ぎを利用してジャンプ台のてっぺんまで、階段とエレベータを利用して見に行きました。百聞は一見にしかずの、一つの例です。ジャンプなるものを実感するにはここまで来るのがベストなのでしょう。戻ったら、足の筋肉がつれたみたいにしばらく痛かったでした。
夜7時からホテルでレセプションがあり、8時過ぎからわたくし講演をしました。用心して、アルコールを口にしないで、食べ物もあまり食べずに久しぶりにあった仲間とおしゃべりをしました。
講演会場の壁には見慣れた金大中氏とたぶん他のノーベル平和賞受賞者仲間でしょうか、写真がありました。そういえば、ノーベル平和賞はノルウエーが決めるのでした。スエーデンはああ見えて歴史的にはけっこう侵略的というか帝国的でして、ノルウエーもフィンランドも支配された期間が長いので、罪ほろぼしにノルウエー人に平和賞の選択の権利を渡したのでしょうか。いきさつは知りませんが。
この60人程度しか座れない半円形の階段式部屋はその豪華な調度もあって、なんともいえない好もしい雰囲気でした。わたくしもすっかりリラックスしまして、1時間弱話しました。おわったあと沢山の質疑がありました。ここに沖縄のメンバーがいたら、どんなにか嬉しく思っただろうに、とそんな風に感じました。
いまの沖縄の研究機構はほとんどのグループがわれわれのやってることと違う脳科学とかコンピュータ科学なので、研究的には孤立しているのです。それでもみんないい雰囲気で頑張ってくれています。ここで、これだけの人達がつぎつぎに興味を持って質問してくれるのを見たらば、世界には近い仲間がたくさんいるのだと実感できたでしょうに。