ギリシア人の心、日本はなんのためにこれから科学をやるのか

ギリシアは親日的です。どこにいっても日本人とわかると親しさが変わります。
ギリシアの人々の多くは海にかかわる職業についているので日本に来ている人達も多いのでしょう。日本でとてもよい経験をしたので、お返しをしたい。近親者が日本で良い体験をしたと聞いたので、日本人には親切にしたい。日本人にもいちばんよくわかる理由で日本人に親しみと親切の心を持って接してくれる人達が多いです。つまり、日本のどこかで外国人に親しみを持って接してくれた日本人のおかげで、わたくしたちがギリシアで楽しい思いが出来るのです。
ギリシアは長い歴史があり誇り高い人達のことは、町を歩けばどこに行っても分かります。真っ白な壁に、国旗と同じ色のブルーで塗った桟や扉が映えます。それに赤のブーゲンビリア。オリーブはもちろん、イチジク、レモン、ザクロと家々にある木々の緑をみればかれらがどんなにギリシアを愛しているかがよく分かります。

日本人はいったいなんのために科学をこれからやろうとするのか、わたくしはこのようなことを今回の会合で考えました。というか考えざるをえない気持になりました。
このようなことはヨーロッパのような沢山の個性的な国々から成り立つ地域での会合で特に強く感じます。こんどの会でも日本人の参加者はそれなりにおりました。参加希望者が多すぎて厳選したようですが、日本からも若い参加者や発表者がおりました。
こういう会での特徴はここの参加者は大学や研究所から来ていても、個人で参加しているので、個人の意見、つまり個性のある科学的な意見を本人の判断で自由にだせることが一番大切です。
わたくしはもうずいぶん前から言ってるのですが、戦後ながいこと右肩上がりと漠然といわれている日本の科学技術ですが、国際会議などでの日本人科学者の存在感がたかまっていることはまったくない。むしろ将来的に非常に心配な感がある。
個別的にみても、わたくしの分野でもこれでわたくしも後顧の憂い無く、隠居できるな、という感がもてません。
日本の基礎科学は栄養源がだんだん細っているのではないか。そんな感があります。才能ある人々がもうあまり存在しにくくなっているのではないか。
70年代の頃には海外で講演すると、かならず講演のあとにやって来た日本人留学生は、最近では非常にすくなく、ポスドクばかりとなっています。
なぜ海外に行く必要があるのでしょうか。それは実に簡単な理屈です。
科学は、地球のあちこちに生きている科学者が、協力しててやっていくものです。
科学を遂行するために科学者は優れて個性的であると同時に異なった国々の背景をこえて協力していかねばならないのです。科学者は国籍をもちつつ協力しなければいけないのです。そのような人材を日本はつくる「国力」というか国の「気運」がだんだん細ってきているのではないでしょうか。いまの日本はますます「競争」のほうに科学を向けています。
しかし、競争より協力のほうがはるかに楽しく、将来性がたかいことは間違いありません。諸国の科学者やその国の人々に尊敬をえられるものが、競争心であるはずがありません。

ちょっと暗めの話題ですが、ノーベル賞の週ですから、そんなことを言ってみるのもなにかの意義があるでしょう。

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