亀田父子、モンゴルと日本の類似、大木を切り捨てる暴挙

昨夜寝る前に、亀田父子の謝罪会見をテレビでちょっと見ました。
色んな意味で感じの良いものでなく後味も悪い。
朝青龍の時と同じで、亀田子はまともに歩けない、「腑抜け」状態とみました。王者であっても王者をめざして激しい自己練磨のあとでも自分の思うとおりにならないと、モンゴル人も日本人も結局同じになるのかと思いました。再考して、マスコミによる痛打はそれくらいのすごい効果があるのかなとも思いました。
しかしわたくしは、一番けしからんのはマスコミの大手であるTBSでこれがまったく批判も反省もなく時がすぎさることが不可解です。TBSには社会的な鉄槌、痛打を与えるべきです。理由は昨年述べました。本当にひどいものです。

きょうが引っ越しのための最後の受け渡し日です。午後4時からあります。
もうラボメンバーはこちらに越していますが、残してきたものや後片付けなどがありました。大変でした。
それもこちらとしては終わりで、きょうが引き渡しの日です。大手のM組とかですが、これまでのところ感心したことは何もありません。今日はどうでてるか。それから大学の施設当局もやはまったく論外です。一つとしてこちらが感謝したくなるようなことをしてくれません。
それに引き替え、引っ越し業務をしたS社は本当にあふれる責任感と手際の良さ、よく考えた対応とラボのメンバーはべたぼめと感謝です。
こういう会社があるおかげで、われわれの怒りとか不安とかそういうものがごくごくまっとうなものであると思えるのです。どうしてこう国的の組織とかそれから大口で受注する会社に誠意を感じられないのでしょうか。不思議におもいます。

引き渡し時に気がついたのですが、建物の中庭の樹木がすっかり空いてしまった事でした。業者に聞くと、大木1本(あの素晴らしい大木であったに違いありません)に中くらいの木を3本切り倒したとの事です。中くらいでなく、どれもわたくしには大木です。完全に切ってしまってどこかに木を捨てたとのことです。あまりの暴挙に開いた口がふさがりません。
これらの木はノーベル賞受賞者の福井謙一先生を始めとして京大の輝かしい工業化学の歴史を担った先生方が憩った中庭にあった大切な木だったのです。わたくしが出張でなければ途中で気がつけば体を張っても切るのは阻止したでしょうに。
京大の施設部の真骨頂です。石垣問題の時は、騒ぎがあったのですべての樹木を倒さずに養生して元へ戻したのに、この記念碑的な樹木、京大にとっても将来的にも価値のある樹木を切り倒して捨ててしまう、という所業、暴挙でしかないのですが、それがわからないことに深い悲しみを感じます。
唯一の救いは、担当者がそれをやれといったのはわたくしです。名乗り出たことでした。
若い人ですからだれからもなんのために大学施設が存在するのかいちども教育されたことがないのでしょう。それくらい京大施設は劣悪と言うことはわたくしは知ってましたが、よもやクレーン車を置くというのでこれらの木を平気で切るとは思いませんでした。実名をあげればこの松村組という準大手も最低の会社でしょう。おはらいをしたからいいのだと、平気で言ってました。

木は戻りません。ほんとに残念です。

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