昨夜のシリーズ戦は見ました。中日ドラゴンズの完勝で、昨年とまったく逆のパターン、つまり最初に一敗してそのあと四連勝でした。名古屋本拠地での勝利でもあり、昨年の日ハムの優勝とちょうどシンメトリーな勝ち方パターンでした。ファンには溜飲の下がる勝ちっぷりでしょう。さらに完封の1−0の勝ちでしたし。
違和感を感じさせたのは、先発投手が8回まで完全試合だったのに、落合監督は、9回いつものリリーフエースを登板させて、結局リレー完全試合を達成したというものでした。
名古屋的な敗北というのには強い記憶に残るのがあって、たしかオリンピック主催地候補になってそれが韓国との決戦投票までいって惨敗した時に、なぜか日本の中での同情があまりなかったことでした。名古屋というと、どうも全国的なレベルで親しみとか尊敬の念をかちうるのが難しいのはなぜでしょう。わかりません。
しかし、今回の勝利は素晴らしいのではないでしょうか。落合監督はいまや中日にとって、至宝です。天才バッターとして、三冠王を三度もやっているのですが、この大記録を持った選手が監督を始めて、4年のうち、三度も日本シリーズに出てきて、とうとう今回は53年ぶりに優勝してしまいました。このままドラゴンズは監督を大事にすれば、V9の川上哲治監督を上回るかもしれません。
それなのに、名古屋ではたぶん来年くらいには落合監督をクビにして、変えたらどうかなどとオーナーが言い出すに違いありません、というかそういう風になるだろうとまわりは見ているのですね。
落合監督にしてもこれだけの記録とこれだけの実績をもちながらも偉大な選手、監督として尊敬をかちえるより、むしろオレ流とか勝手気ままな人間とマスコミにラベルを貼られがちです。地元の新聞がそういう記事にする町柄だと周囲はみているのです。
不思議なことです。名古屋的勝利は、非名古屋人のなかで喜ばない人が一部にいるに違いありません。
落合監督の勝利に関しても、名古屋の中で彼をとことん守ろうとするよりも、また年俸を上げると要求したら、思い切り叩けとか、今回のピッチャー交代でも、あんなんで野球が面白いのか、こういう批評が名古屋内部から起きる、とまわりが見ているのですね。
偉大な田舎と、ラベルされてから長い名古屋ですが、これなど好意的で、偉大がつかない形容も名古屋には沢山これまでありました。しかし、今回のようなことを契機に名古屋は偉大だという声がいわれ出す契機をつかみました。
これから、名古屋が全国注視のもとにまずアジアカップがあって、連覇があるかどうか、その過程でこの天才バッターそしてもしかしたら不世出の監督になるかもしれない落合監督をどう町として遇するか興味津々です。
最近、よくいくパン屋さんにきょういったらレジのところに、11月より定休日は休みません、とありました。
うん、と一秒ほど見てから、それじゃこれから年中無休になるの?と聞いたら恥ずかしそうに、そうなのですとのお返事。なんという奥ゆかしい。これが京都なのですね。他に、どこにも掲示はありません。
売らんかなの、赤福や御所もちだかの経営者にはいちどこのさりげなさを見て欲しいものです。さりげなさは結局自分を守りますね。
妻が新聞をみながら、わたくしに、あなたが突然死したらどうなるのという、素朴かつストレートな質問。わたたくしが暇そうにしている時間があまりにまったくないからなのと、なにか突然死と関係のある記事があったに違いありません。
そりゃ、勝手に働いていて死ぬのだから、何もないでしょう、やはり強制というか義務的に働かされている場合の突然死でなければ、突然死んでもなんにもありませんよ、勝手に死んだということでしょう、と返事しました。
しかし、長年のつきあい、妻からのわたくしの生活態度への警告と受け止めています。
それと同時に、むかし研究科長を二年間やって、最後の2か月はいやでいやで登校拒否になりそうになりましたが、あの時死んだら職場での突然死に該当するかな、と思いました。