携帯電話、株安、旅する研究者

朝出かける時に、携帯電話がないことに気がつきました。平素はなくても別にこまらないのですが、きょうはニュージーランドから来るJHさんの迎えがありますので、必要になる可能性大でした。
比良の家のどこかに置き忘れたに違いありません。
家から大学まで公衆電話がどこにあるか、探してみると驚くほどみあたらないことに気がつきました。ほとんどありません。世の中が変わってしまったことに驚きました。
午後になって、妻からわたくしの農作業用の服の胸ポケットにあったとの連絡がありました。きょうはJHさんを比良の家のほうで泊まってもらいます。
ラボのHさんが関空まで迎えにいっていただいて、京都駅でバトンタッチの予定です。外国人の入国を厳重審査するとかいうしょうがない世の流れがありますので、遅れるかもしれません。

株安のようです。一日で500円以上も安くなったとか。団塊近辺の世代が退職して、虎の子のお金を株に投資したりしてると、被害が大きいのでしょうか。デイトレードというのですか、時間があるのでこれをやってると、大損する可能性があります。もちろん儲かる可能性もあるのでしょうが。しかし、米国発の株損というのはかなり膨大な額になっており、相当数の被害者が世界的に発生しているようです。やはりデイトレードより、体を使った労働のほうが安眠できるし、なにかはっきりした成果がみえていいものです。

司馬遼太郎氏の全盛時代の小説はやはり明治維新がらみのものが多いですが、当時の志士はともあれやたらに旅をしていたようです。長州から津軽とか、歩いて旅をするなどはごくざらだったとか。志士がきて都や江戸の政治情勢をはなすと近隣から沢山の人が来て、その話を熱心に聞く様子が氏の生き生きとした筆で活写されています。
知りたい、伝えたいとなると、千里の道もいとわず出かけていって、話すべき相手を探して伝える。こういうのが人と人のつきあいの原点にあるのだとおもます。
研究者も結局のところそういう類の人種なのです。
話すことがあったら、手紙だけではどうにもらちがあきませんから、出かけて話をする。百聞は一見にしかず、まさにこのことです。顔を見て話が対話からもっと拡がって、集団的な話し合いに拡がる、こういうことで研究者は生きてきているのですね。昔とちがって、いまは飛行機を使った旅となりましたが、根本的な旅をする理由は変わってないはずです。
沖縄のようなところでの研究はとくに旅をする研究者にきてもらうことがいちばん大切です。百聞は一見にしかずだからです。来てもらってたった一日滞在するだけでも、たいへんな効果や意義がありうるのです。今回のJHさんもぜひ来てもらって、いちど見ていただきたい、そこでの自然発生的な話し合い、これを期待しているのです。

言葉とは、拡がる特性があります。誰かがなにかを見て、あることを言い出すと、それが拡がるのは、言葉に伝播する力があったからです。研究者は政治家とは全然異なって少数の人間を相手にしますが、しかし言葉のもつ力を最大限利用しなければならないのです。

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