稲尾和久氏の死去、報告の書類づくり、JHさんのセミナー

鉄人稲尾和久氏が死去したとのニュースを見ました。
西鉄ライオンズ全盛時の、豊田、中西をはるかに凌駕するパワーというのか、底知れないエネルギーを感じさせる投手が、検査入院中に亡くなるとは驚きとの悔やみのことばがたくさん見られました。
わたくしも大学生の頃なのでしょうか、稲尾様、神様仏様ということばが実感としてよくわかる試合展開をなんども見た記憶があります。日本シリーズもすごい活躍をしたものです。死去の原因はがんのようですが、詳しくはわかりません。急死のことはたしかなようです。いろいろな人が悔やみの談話を述べていますが、野村監督が一年間に43勝もあげられるような投手はもう二度と出ないだろうといってました、そうだろうとおもいます。もうひとり、川上哲治元巨人監督の談話で、稲尾一人に負けたシリーズもあったとの言葉も印象に残ります。川上監督、おいくつなのでしょう。
稲尾監督の童顔というのか温顔というのか、野球といえば思い出せる人でしたが、70才での死去早過ぎることは間違いないです。

けさも早起きして、沖縄での研究の書類づくりをしていました。今回お出でになったJHさんにちょっと目を通してもらいたかったので、ちょっと充分にはほど遠いのですが、とりあえず、読んでもらえる体裁になったので、これを渡すことにしました。
彼も6時過ぎに起きてしまったので、それほどは出来ませんでしたが、あとラボでかれがメンバーと話しているあいだにとりあえずのかたちにたものです。
JHさんには比良の家の周辺も見せました。かれがフランスに持っている土地にくらべれば猫の額みたいなものですが。フランスでも農地というのは非常に安いし、買う人も農業をそばでやる人だけなので、ただみたいなものらしいです。

JHさんのセミナーおもしろかったでした。わたくしの知らない若者たちが沢山質問してくれてJHさんも強い印象を持ったでしょう。
わたくしも海外で講演などをしてシャープな質問を若者がしてくれる場所が常にいちばん強い印象がのこります。とても良かったでした。

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