今月はやはりばたばた忙しいです。N君の論文改訂版、年内に送れるのでしょうか。暗雲がたなびいてきました。あしたからは、二日間沖縄との合同の仕事の報告会ですし。
しかし、今月はA君の論文は投稿までいったし、沖縄の研究ユニットの評価のためのすべての書類をしっかり書き上げて、送りだすことができたし、例の遅れに遅れていた原稿もなんとか脱稿したし、よく頑張りました。自分を賞める気にはまったくなれませんが、自ら老骨にムチをいれるすべはすこし分かっています。でもこれでわたくしの寿命は一段と短くなってるのでしょう。滋賀県の男性平均寿命に到達するなどわたくしにとって夢のまた夢に感じます。
週末農業者としては、この12月はまだまだ新春には遠いという感じです。今年の作業の終わりを続けている感じで、やはり2月上旬に新春というか、農業的な自然の新年がやってくる感じです。
今日のトピックスですが、先住民的な研究ということについて述べますか。
わたくしは米国に1年弱住んだだけで教育を受けたことはないので、米国先住民についてどのように米国民が教育されているのか、知りません。ニュージーランドやオーストラリアでの教育については最近知る機会をえています。
昔のハリウッドの映画ではすべて邪悪な連中として描かれていましたが、いまはどうなのでしょう。さすがにそんなことはないでしょう。米人インテリにこの話題を振り向けると、ただちに日本のアイヌはどうしたと、攻撃は最大の防御作戦で来ますので、米人移住先祖は他の諸国と比べると格段に悪いことはなにもしてないという教育をしているのでしょうか。米国先住民が土地を全部返せと訴訟してももちろん無力でしょうし、米国にとっては、存在しないかのようにしているのでしょうか。でも米国内を旅行したら、相当多くの場所に先住民が粗末な家に沢山住んでますね。
たぶん、現在の米国民の多くにとっては、存在してなればよかったのに、という感情というか感覚で結論されるような類の問題なのでしょうか。
研究でなにかとても面白い発見をしたとします。文献を調べてみると、もうすでに誰かがやっていたとします。
それがハーバードとかMITのようなところのお偉いさんかきいたことの無い人達でもCell, Nature Scienceとかに発表されていたら、ああそうか、もうかなりやられていたのだ、ということですこし引き下がった気持で対応するでしょう。
しかし、これが聞いたこともない雑誌とか、科学の世界では辺境のような場所とか、そうでなくとも、日本人が日本でやっていて、ほとんどまわりが気にしてないような研究としていたとします。しかもそれが新しい研究で、さんぜんと光り出すような研究になるとします。
欧米系の研究者ではこういう時に、この聞いたことのない研究はまあ先住民的なので、「無視」しよう、と決める人達が案外いるのです。
実は最近、日本人でもこのようなタイプの研究者が増えてきています。先住民的研究無視タイプの研究者が増えるのは、悲しいことですが、成果を独り占めしたいという誘惑にはなかなか勝てないのかもしれません。
それでわたくしのお師匠さんが皮肉っぽく、ミツヒロ、世の中には既に発見されているのに、もう一度発見したがる人達が沢山いるのだよ、とわたくしに教えてくれたのを思いだします。
わたくしも、いちどかなりひどく先住民的に扱われたことがあります。
Crm1という遺伝子についてですが、わたくしたちがまったく気がつかなかった事を見つけた研究者が、そんなふうにわたくしたちの研究を扱ってきた事をおもいだします。
そこそこのジャーナルにずいぶん沢山論文も書いているのに、よくここまで先住民的に扱ってきたな、と呆れたものです。
その時、わたくしが思ったのは、わたくしたちがいなかったら、彼等は本当にうれしかっただろうに、と思ったのでした。どこかでやましい気持をもっていたでしょう。
そんな気持を持たなければ、わたくしたちと素晴らしい友人になれたのに。前もって教えてくれたら、わたくしはどんなに喜んだでしょう。そして彼等に本当に感謝下でしょう。
しかし、残念ながら、最初のかれらの論文を読んだときに、わたくしたち先住民よ早くここから消えろ、というメッセージを強く受けたものです。
実際にはわたくしたちもその場所からは事実上去っていたので、言われなくてもそうしていたのに。実際的にはいたくも痒くもなかったのですが。
しかし、先住民的な反撥の感情がむくむく湧いてもとのところに戻って短期間、一戦を交えたのを思いだします。結局、この分野の関係者とはいちどもねんごろな会話がなく時がたってしまいました。exportinと新しい発見名をつけた人達は手柄を立てたのでしょうが、時がたてば、友情や感謝の念に勝てるものはありません。
しかし、わたくしだって、気がつかないで、どこかでどこかのグループを先住民的に扱ってるかもしれません。意図しないで申し訳ないことをしているかもしれません。
ですから、権利の主張はあるところまで来たら、やらないといけないのでしょう。しかし、研究の世界では近年になって、この先住民無視の傾向は圧倒的に強まっている感があります。