土曜日にはT君が比良のほうまで来てくれて、議論の続きをしました。ラボのほうが停電なのをすっかり忘れていたので、電気の無い部屋での議論よりはということで1時間かかりますが、来てもらいました。この二日でだいぶはっきりしたと思います。かれも、お子さんが出来たのですから、いわゆる「頑張らなくっちゃ」状態で、話のひとつひとつが生活がかかって頭に入ったと信じます。
昼過ぎには彼と一緒に京都へでて、わたくしは、東山三条から岡崎公園を経て徒歩で、銀閣入口にある橋本閑雪の旧宅であった黄昏亭27周年記念パーティに行きました。
やはりいってとても良かった。わたくしは、不義理に不義理を重ねるどうしようもない人間ですが、おりおりに強く義理を感じます。この会は義理以上に自分のためにも参加したかったのです。
まだ明るい時間に店主のH子さんにお会いするのははじめてですが、いつもとかわらずおうつくしい。元気、いっぱい。女性参加者多くて、誰が誰なのか、分からないのですが、お子さんの中学生や小学生も混じってなんともいえず、なごやかにして、上品。H子さんのもつ雰囲気そのものです。
沢山の人がこころあたたまるスピーチをしました。あの暗い空間ではわからない、それぞれの人の平素の「まともな市民」生活もかいま見えました。なんともいえないいいものでした。深夜の黄昏亭の参加者が昼間に家族などと一緒に集まった様子を見ることはちょっと日本離れの雰囲気です。。
知ってる人は誰にも会えないかな、と思っていたら旧生物物理の、三人と会えました。Sさんは神戸からの参加でした。長崎のA君は来ませんでしたが、祝電がありました。
ここにいちばん通っていたTさんはロンドン在住、Sさんから通知がいって、ぜひ来たいという気持があったようですが、さすがにロンドンですから。
わたくしも彼に連れられて来たのか、彼が連れて行った人物がわたくしを連れて行ったのか。もう20年以上前ですからわかりません。わたくしも彼に知らせるかどうか迷ったのですが、たぶん誰か別人が誘う方がよかろうと判断しました。
名物黄昏亭の看板、あの字は誰が書いたのか、H子さんに聞きました。
看板は店主が書かなければいけないという助言もあり、自分が書いたとのこと。
あのたそがれ色のきいろっぽい看板にうかびあがる黄昏亭は彼女が27年前に書いたのか、となんだか深く感動しました。
Sさんも、水曜日が定休なのをわすれて、建物の傍までいって、看板の電気が消えてるのでガッカリしたことが何度もあると言ってました。わたくしもです。考えると、タクシーかなにかで行ったことは一度もなく、いつも歩いていったものです。
そうだったのか、看板をみたら、店主の人物がわかる、そういうことだったのか、ふかく納得もしました。
27年、区切りでない年のパーティなんの意味も無いとのH子さんの言。
わたくしは、3×9の27だから、サンキューの意味かなと思いましたがそんな深読みは意味なしでした。挨拶の中に、手紙をみて閉店の知らせかと、ドキドキして封を開けたとの、話がありました。多くの人達はそうおもったでしょう。
しかし、H子さん、元気です。まだまだ閉店ははるか先でしょう。
日曜は一日、畑づくり。
かなりの重労働でした。でも、ほぼ終わったので、こんどの日曜からの沖縄での国際ワークショップや、月末のフランスでの学会参加があってもほぼ問題なく、わが農業は順調にいくであろう、と安心しました。後はなにをどう、どの時期に植えるかです。これは頭を悩ませますが、いちばん楽しい事でもあります。
夜は、妻と琵琶湖大橋たもとのフランス料理店に行きました。味は及第です。わたくしは、鹿を食べました。滋賀の鹿ではなくニュージーランドからだとのこと。いまの日本の山の状態から見ると、日本人はせっせと鹿を食べなくてはいけないのですが、まだボタン鍋のような鹿に特有の名物料理がないですね。