映画「靖国」の上映中止、町中騒音への寛容さへの疑問

いつのまにやらこのブログも前編の休憩時間もふくめて3年を経過してます。ちょっと考えていることもあるのですが。まだ発表できません。

あしたは沖縄からTP君がきます。こんどのワークショップ中は忙しくて研究の話もできそうもないので、きてもらいます。彼の書いた原稿にのっとって一日詳しい議論をしようとおもっています。

映画「靖国」が上映できないというニュースを見ました。
予定映画館がみなおりてしまったとか。理由はたぶん近隣に迷惑がかかるおそれが高いというのでしょうか。
このあいだ、プリンスホテルが日教組の会合を断ったのと、似た理由というか状況のようです。
この問題、警察が介入できないというか、介入しないのが残念です。唐突ですが、たぶん大音量街宣車が原因なのでしょう。
わたくしは靖国をみたわけでもないし、正直見たいとも思わないのですが、上映できない状況がいともやすやすとおきてしまう状況に非常に残念というか口惜しい感があります。結果論ですが、この映画が国の補助などを求めていなければこういう事にはならなかったのではないか、とも思うのですが、それは映画制作者に対して酷な意見だとおもいます。
それで、この大音量街宣車です。これが警察の取り締まり対象にならない、というのが日本の社会的未成熟さのひとつの現れとおもいます。

わたくしは、耳に対する暴力というか騒音が非常に嫌いです。
琵琶湖で大音響ではしりまわるジェットスキーが至近距離にあれば親の仇くらい嫌いです。
深夜都会を走り回る大音響の暴走族ももちろん嫌いです。
住宅地の庭に生息する、人が通ると吠える、また理由も無く吠える犬が大嫌いです。なんでそこまで他人を憎ませる、警戒させる犬を飼うというか、育てるのか。
こういうものが放置されている日本という社会にはあきらめに似た気持ちをもっています。いつの日にか欧州並みの騒音嫌い人種が増えることを祈っています。

わいせつなモノを見るのが嫌いな人達は沢山いるようですが、なぜこのように騒音に日本人が甘いのかわたくしには分かりません。人種的な事なのか、それともなにか別な理由があるのか。町中を走り回る廃品回収とかさおだけ売りとか石油売りとかも、一般的に音量が大きすぎます。だいたい選挙の時も、うるさすぎます。ああいうモノが許されている以上、街宣車の存在も許されてしまうのでしょうね。
街宣車も一種の主張をしていますから、言論の自由という点では、意見の主張は抑制してはいけないのです。
騒音をたてるなんとかおばさんというひとが逮捕されましたが、それは常軌を逸する騒音行為を長年にわたってやったあげくのことです。

日本人の騒音への寛容さというか、鈍感さが結局このような法律の一種の「すきま」を作ってしまって、大音量街宣車が存在できて、風が吹けば桶屋がもうかるような帰結で、映画上映中止に追い込まれるのは大変残念です。

わたくしの意見は簡単で、町中での騒音は特別なお祭りとかなにか例外的な楽しい時以外は、すべからく法的に取り締まって欲しいというものです。
そのためには、静かな選挙を行うことから始めないと。個別訪問はOK、しかし大音量の政治宣伝はダメにならないと。

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