メタボローム、データの多さ、社会科学的?

昨日やってきたTP君はチェコのプラハの出身で沖縄でもう3年くらい働いているとおもいます。
もともとコンピュータが強いので最初は質量分析のオペレーター程度でやってもらってましたが、N君の教育もよく機械のみならず原理も良く理解して、しだいに守備範囲がひろがりもうひとりのN君の誘いもよかったのか、細胞をすりつぶすような実験までとうとうやりだして、それがとても順調に進むようになりました。そういうわけで、技術員なのですが、研究テーマをもってやっていけるレベルに到達しました。立派です。
おかげでデータも沢山出て、いろんなことが分かりだしています。

この分かりだしています。というのが正確なところで、データが沢山あってもたしかになにかをしっかり分かったのか、といわれればまだ首をたてに振れません。

細胞のなかの代謝物、つまりアミノ酸とかビタミンとか核酸の前駆体であるヌクレオチドとか、こういうものの細胞内での濃度というものがデータとしてでてきても、そう簡単に意味のある結論をおろせるものではありません。
そもそも細胞内には数千種のそのような代謝物がありそうなのですが、物質として同定するのが非常に大変なのです。この質量分析機はそのような物質の質量をすごく正確に測定できるのですが、それだけでは候補となる物質はへたすると何百種もあるのです。このあたりがタンパク質やDNAの構造を決めるのとはまったく異なります。それでカラムを使ってどう分離するとか、その物質の断片の分子量から推理するとか。そもそも標準物質が商品として存在しなければもうお手上げです。
代謝物の網羅的解析はメタボロームというのですが、網羅のレベルが小さい規模なのです。せいぜい100とか2,3百種類の代謝物をきちんと同定、定量すること自体がまだまだ大きなチャレンジなのです。本当のところ。
それにわたくしのように遺伝学、分子生物学のもっとも精密、厳格な学問をやってきた身にとっては、全体に話がアバウトになりがちで、これになかなか慣れません。
ただちがった目で見ると、この技術はこれまで非常に大変だった代謝物の種類や濃度を一挙に多数測定できることは間違いがないので、画期的なのです。その画期的な部分を利用してなんとか面白い、生物学をやりたい、これが目標です。
ただ代謝物は小さな物質でどこかに閉じこめないと拡散しやすいし、そもそも細胞のどこにあったのか、それを究明するのも容易でないので、代謝物の量の変動の解釈だけではおもしろい生物学はできないし、また結論も危ないです。現状では、メタボロームの結果をヒントにして、別な方法で結論を確定するのが安全なアプローチです。
遺伝学というか、変異体を使った測定がわたくしたちのいちばんの特技なのでどんどんそのようにやっているのですが、データの多さに、わたくしもすこしへこたれています。昔はデータがすくなくて困ったのに、こういうのはデータが多すぎるのが困ってしまう最大の原因です。
しかし、TP君スマートでなおかつ頑張ってくれてるので、なにか出てくるのに違いないと思っています。
かれには、メタボロームはわたくしがやってきたこれまでのいろんな生物学の中でいちばん「社会科学的」だといったら、理解出来ない顔をしていましたが、詳しく説明したらすこし分かってくれたみたいです。

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