くいだおれ太郎、名医はいかにしてつくられるのか

沖縄からの帰路の機中で書いています。

大阪みなみのくいだおれが閉店になって、店の前で愛嬌をふりまいていた人形通称太郎君も消えるのだそうです。この太郎人形、みなみにしてはずいぶん品がいいと思っていたら、どうもこの店のおかみさんの品の良さに合わせたのではないか、とひとり納得しました。二度ほど店内で食べたことがあります。たとえていうと、東京の浅草とか上野とかの庶民的なところで団体でも入ってすぐ食べられる、そういうような雰囲気でサービスもそういう感じでした。時代の流れで新しい店にせざるをえなかったのでしょう。
気がついたのですが、どうも太郎人形はふたつあったようです。

名医は世の中にもちろんいますが、でも沢山はいないのでしょう。イチロー、松井クラスの選手が滅多にでないように、どの世界でも超一流の名手は滅多にでるはずがありません。スポーツ選手が沢山の観衆を楽しませるように、名医は沢山の患者の苦しみを取り除くのでしょう。名医ですから、できたら困難な病気、最高の知識、経験、技術が駆使される必要のある難しい病気に対応して欲しいものです。つまり遠くから患者が名声を聞きつけて、ぜひとも診断を仰ぎたい、そういう他の医師ではなかなか正しい対応がしにくい病気に毎日のように接する場所、名医にふさわしい舞台があってほしいものです。
難しい病気といっても千差万別ですが、でもここでは診断の困難な病気、治癒方針の立てにくい病気に限定して考えてみましょう。
じつは、たぶん患者が最初に自分は厄介な病気を持っているのかもしれない、と思うこともかなり多いようです。
ありふれた沢山の人がなっている病気のはずなのに、どうも直りにくい、薬や治療が功をそうさないそういう場合は本人が最初に気がつき、その次ぎにそれならどこにいけば、決着がつくのか、そう考え出すわけです。そうやって調べてみると、名医という評判の先生はそう滅多にいるものではない、ことに気がつくのです。将来の名医になる医師は沢山いるかもしれませんが、いま名医と本人も周りも思っているような医師はかなり少ないことに気がつきます。
それは当たり前で、最初にいったようにイチロー、松井クラスは滅多にいません。ある時代に2,3人そういう場合もあるでしょう。そこまでいかなくとも、文句なしの名医が沢山いるはずもないし、またそういう名医を必要とする病気もそう滅多にあるものではないでしょう。ほとんどの場合病気はありふれた対応でもなんとかなるのでしょう。
具体例は挙げませんが、ある難しい病気になると、それは関西ならあそことここのお二人ですね、それ以外はおりません、とかいう会話はざらでしょう。そのふたりも本当の名医かは分からないけれども、でも他にいないのですからしかたないでしょう。それでいってみると、なんと、同じような症状のひとが確かに来ているのです。
きょうこんなことを書いたのは、名医の存在を聞きつければ、患者は千里の道も遠しとせずに、やってくるものだということ、しかしそこにたどり着くまでにはかなりの長い道のりがある。いっぽうで、名医は決して恵まれた生活を送っているわけでもなく、名医は患者本位の生活をする傾向があるので、決して楽でない生活を送っているようです。
このあいだみたテレビ番組での北海道大学の子供の脳腫瘍の専門医の生活と意見はまさにそれを実証しているようでした。

名医を必要とする病気があるのだな、困難な病気があって、それと苦闘しているうちに名医がつくられるのだな、と納得しました。つまり、困難な病気こそが名医をつくるのでしょう。

四国宇和島市におられる万波医師のケースはさらに卓抜な創意工夫と神業のような技術をもつと聞いています。社会的な合意を得るために患者の会の皆さんは頑張っておられるようですが、いっぽうで彼のような技と精神をもった医師の後継者がでないと、困るのではないでしょうか。

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